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感想『ドラえもん おばあちゃんの思い出』

心が貧しくなった時に観るアニメがいくつかあって、ドラえもんの「おばあちゃんの思い出」という話がその中のひとつだ。 この「おばあちゃんの思い出」を観て何か心に感じるものがある度に、「あぁ、まだ俺は心のある人間なんだな」と実感する。

 

「おばあちゃんの思い出」という話は、のび太の母・たま子がのび太が子供のころ愛用していたくまのぬいぐるみを捨ててしまおうとするところから始まり、亡くなったおばあちゃんを一目見たいと、のび太とドラえもんがタイムマシンで会いに行くという話なのだが、観るたびに涙が止まら大げさじゃなくてマジで涙がちょちょぎれるくらい泣く。

どのシーンがとか言うより、のび太のおばあちゃんが出るほぼすべてのシーンで強制的に涙腺をぶっ壊される。

 

例えば、

 

①ボロボロでつぎはぎだらけのぬいぐるみを見てのび太はおばあちゃんとの思い出を振り返るシーン

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②商店街へと坂を下るドラえもんとのび太の目の前に坂を登るおばあちゃんが現れるシーン

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③目当ての団子が売り切れで、おばあちゃんに向かって「キライだ、あっちいけ」と小さいのび太が言ってしまうシーン

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④花火を探しに、街中のおもちゃ屋を探し歩き、疲れて眠ってしまったのび太をおばあちゃんがおんぶするシーン

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⑤花火が見つからず、また「キライだ、あっちいけ」と泣きじゃくるのび太を、見守るように物かげに隠れるシーン。

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⑥家に隠れて忍び込んだにもかかわらず、大きいのび太を迎え入れ、破れたぬいぐるみを直しながら、「あんたが(ぬいぐるみを)取り返してくれたんだろう?」と声をかけるシーン

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⑦破れたぬいぐるみを直すために自分の着物を取り出すシーン

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⑧ずっと(のび太の)そばにいたいけど、わたしもトシだから、とおばあちゃんが言うシーン

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⑨ランドセル姿が一目見たいというおばあちゃんに、ランドセルを背負い「ぼくのび太です」と打ち明けるのび太を、「そんな気がしていましたよ」と疑いもしないでおばあちゃんが受け入れるシーン

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⑩「おばあちゃんにわがままばっかり言って」と自分を責めるのび太に「悪いのはおばあちゃん」「のびちゃんのおばあちゃんでよかった」とのび太の頭をなでるシーン

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⑪小さいのび太に「おばあちゃんのなりたいものはなに?」と聞かれたときのおばあちゃんの答え

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なぜこんなにも涙腺を刺激するかというと、その一番の理由はのび太のおばあちゃんの顔面にある。

あのおばあちゃんの顔面を見るだけで、というか思い浮かべるだけで、涙腺が緩んで目頭が熱くなる。のび太のおばあちゃんは普段目を細めているのだが、それがときどきパッと開くときがある。それがたまらなく愛おしい。あの顔面はもう。

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画だけでも思い出してヤバい。誤解のないよう念のため言っておくと、俺はいわゆる「おばあちゃんっ子」ではまったくない。自分のばあさんには何の思い入れもないし、のび太のばあちゃんとは真逆のババアだったので、むしろ自分のばあさんが死んだときはちょっと笑った。

にもかかわらずここまで涙があふれるということは、のび太のおばあちゃんのあの顔面にはなにか人の涙腺を刺激する科学的根拠があるのではないか、とさえ思ってしまう。

あと、わざわざのび太がランドセル姿を見せるためにばあちゃんに会いに行くという意味、それを知ってなおばあちゃんがのび太を抱きしめるというのがどういうことなのか、それを想像するだけで、もう、俺はだめだ。

もし俺がいつの日かおばあちゃんの思い出を観て、泣けないどころか、何も感じないのであればそれ紛れもなく俺が「サイコパス」になった何よりの証拠であり、確実に人の道から外れようとしているので、その時は俺は潔く殺してくれドラ公…