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かんそう

かんそうブログ。20代後半男。札幌

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石原さとみか有村架純と付き合いたいけどどうせ付き合えないんだから誰でもいい

日記

有村架純 2015カレンダー

この世には何千何万人ものかわいい女の子がいて、例えばテレビを点ければ1分に一人はかわいい子に巡りあうわけで。芸能人レベルじゃなくても例えば少し栄えた街中を歩けば10人に一人はかわいい子を見かけるわけで。それこそ「石を投げたら美人に当たる」レベルのことなわけです。

しかし、世の中というものはひどく理不尽なもので、テレビで見かけた石原さとみも有村架純も、街で見かけたかわいい子も僕たちの知らない誰かと必ずセクロスしているわけでして。それは決して止めることのできない時代のうねり、人の夢なのです。

僕は相手が誰であれ必ず考えてしまう悪い癖があって、例えば恋人と街を歩いてるときに前方からとてもかわいい子が歩いてきたとします。その子を見て僕は一瞬目を奪われるわけです。そして「あー、こんなかわいい子と街歩きてえー」と思ってしまうのです。テレビを観ていてかわいい子が出ると「付き合いてえー」と思うアレと一緒です。そのあと我に返り何事もなかったかのように自分の恋人とトークを再開させるわけですが、それは決してその隣にいる恋人を好いていないとか、かわいいと思っていないわけではありません。犬で言うならパグは愛嬌があって好きで飼ってるけど、ふつうにかわいいトイプードルもポメラニアンも飼いたいよねということです。でもそれは誰にでもあることでしょう。

理想を言うのであれば誰もが石原さとみや有村架純のようなテレビで見るような超美人や初恋のあの子と付き合いたいと思うのは当たり前な話で、仮にいきなり石原さとみが目の前に現れて全裸になったとしたら、僕は確実にすべてを投げ出して浮気するでしょう。ガシガシ抱きます。もうガッシガシ抱きます。いや、もしも願いが叶うのなら世界中のすべての男を「俺」にしてほしいと願っているのです。そうすれば、石原さとみとも有村架純とも初恋のあの子とも付き合えてセクロスできるわけですから。でもそんな夢物語はありません。

現実は石原さとみと付き合うことも、街で見かけた美人と付き合うこともできないのです。哀しきは万が一、億が一石原さとみと付き合えて抱くことができたとしても満たされることはないということです。なぜならば、同時にどこかの男に抱かれている有村架純は確実に存在するからです。たとえ石原さとみをガシガシ抱いていたとしても、そのことがチラつくのです。先ほど言ったようにすべての男が「俺」じゃない限りは。

そう考えれば、どうせそういう考えがチラつくのであれば100点の石原さとみ、有村架純と付き合おうが、50点の合コンで知り合った女と付き合おうが広い意味で考えれば一緒だと思うのです。ちなみここでの50点・100点というのは顔・身体のことであってそれだけで生涯の伴侶を決めるわけではないことは重々承知です。ただ、顔・身体だけで言えば自分の考える90点以上の女なんて恐らく何万人といるわけなので、そのなかの一人と付き合ったとしてもほかの9,999人とは付き合えないわけですから。0も1も一緒、そう考えれば街にはびこるほかの女やテレビの中の芸能人に心動かされることはないのです。ドヤ顔で美人を連れている男を見て羨むこともなくなります。「こいつどうせいつか死ぬし」と思えるのです。

 

そういうことにして目の前にいる人を大事にしていこうと今日も僕は「一生一緒にいてくれや。見てくれや才能も全部含めて」と50点の子にライフタイムリスペクトする。

 

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