かんそう

かんそうブログ。20代後半男。札幌

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星野源源源世から僕は君を探し始めたよ

togetter.com

 

話題からだいぶ乗り遅れましたが、全星野源の敵こと星野源が人見知りについての持論を述べていたらしい。

星野源源源世から星野源の俺にとっても非常に耳の痛い話でもあるので、件の番組もタイムシフト録画しておいたものも視聴しましたし、著書『いのちの車窓から』も拝読させていただきました。

 

それで(元の)星野源が言う「人見知りだと思うことをやめた」ってのは、「人見知り」って言葉をある意味自己防衛に使ってる人にはアレだがそんなんなんの意味もねぇ。

そもそも人の性格なんていうのは結局のところ、いま現在コミュニケーションを取ってる眼前のそいつが勝手に決めてることで、眼前のそいつが「ああ、この人、人見知りなんだな」と思ったらお前は人見知り、しかし反対に「ああ、この人初対面の人とも気さくに話ができる明るい人なんだな」って思う人間もいる。

自分から「僕、人見知りで〜」とか「私、天然で〜」とか「私って毒舌なんだよね〜」は極論「私はコソドロです」ってのと一緒で、初対面で急に「人見知りなんで」と言われても、大抵の人間は良い気はしない、久しぶりに会った親戚のガキじゃねぇんだからちゃんとしろ、となる。だったら嘘でも人が大好きです、喋るのも大好きです、と言っておいたほうが得。

プッチモニも「恋という字を辞書で引いたゾ あなたの名前そこに足しておいたゾ」と歌っているように、相手が自分のことをどう思ってるかなんてわからない。そりゃあまさか「コイツ、俺のことずっと『恋』だと思ってたのか」とはならない。いや、そうなったらマジで星野源じゃねぇか。

だから(本体の)星野源が『いのちの車窓から』の文中にもある、

「好きな人には好きだと伝えるようにした。ウザがれても、嫌われても、その人のことが好きなら、そう思うことをやめないようにした。それで思い出した。「お前ウザいよ」と言われた幼いあの日から、嫌われないように自分の性格を歪め、そもそも人間が好きではないと思おうとしていたが、僕は人が、人と接することが大好きだったのだ。 集団でわざわざ一人になる必要はなくなった。そもそもどんな人間も一人であり、だからこそ人は手を取り、コミュニケーションを交わすのだ。」

もすごくよく分かる。相手によって自分がどう思われるかが変わるのはしょうがない、だったらそれぞれ好き勝手に自分のルールを作って、時にはルールに則って、時にはバーリトゥードで、なるだけ自分の不利にならないようにうまいことやっていくのが一番バランス良いんじゃねぇかなぁ、と思った。

個人的には場で失敗したり、上手くコミュニケーションが取れなかったときは「コイツも俺もいつか死ぬし、いっか」と思うようにしてます。

  

ただ、みなさんにこれだけ覚えて帰ってほしいのは、

「星野源のナリをした奴、だいたい根は人見知り」

ということです。一人を超えてゆけ。

 

 

いのちの車窓から

いのちの車窓から