米津玄師のイメージは、春画描いてる浮世絵師みたいな名前のとおり「気持ち悪いのに気持ち良い音楽作ってるド変態」だと思ってた。
「好み」を超えて『米津玄師』の名前を知った時から曲が流れるとどうしても無視できない、やってることは1ミリも理解できないのに「なんかすげえこいつ…」ということだけは異常に伝わる。得体の知れない化け物。
その「気持ち悪さ」は、例えば『ポッピンアパシー』や『MAD HEAD LOVE』の謎の電子音のような、普通にそれだけ聴いてると不快にすら感じる部分なんだが、米津は逆に利用して印象づけてたり「違和感」にしかならない音を他の音と組み合わせることで「気持ち良い」に変換させてくる。
それはアレンジだけじゃなく、米津自身のザラついた声も「そのメロディにその言葉当てるか」っていうような歌詞も、良くも悪くも強制的に聴いた人間の脳裏に刻まれる音楽を描く狂気のエロ春画舐め郎、そんな印象だった。
それを踏まえてこの『Lemon』。怖すぎた。全音「気持ち良い」に振り切ってる。声も歌詞もメロディも気持ち良さしかない。歌詞の内容は終始マイナスなのに体揺らしてクラップしながらリズム取りたくなる感じとか不自然なほどに完璧だった。
米津玄師にしては不自然すぎるくらいに「わかりやすい良い曲」「わかりやすい良い歌詞」をやってる。メロディ、歌詞共に「ヒト科が好む音」しか鳴ってない。1億人が好む音楽。ギターもストリングスもAメロで突如ブチ込まれる「ウェッ」も、本当に細かいところまで残らず「国民的ヒット曲」だった。
しかも、いくらなんでもドラマ『アンナチュラル』にハマり過ぎている。毎回一番良い場面で小っちゃいっ小ちゃい息吸い音からの「夢ならば どれほど良かったでしょう…?」が無音から入る所は聴くたびに「俺も検死してください…」と血の涙を流してしまう。
例えば、4話で我が家坪倉が違法残業で夜中まで必死に働いて作ったロールケーキがあるんですけど、糞社長に「今すぐ家まで届けろ」って催促されるんですよ。それで坪倉が疲れた体でフラッフラになりながらバイク走らせてマンションまで届けるんですけど糞社長の野郎、一言も礼言わねぇで「おせぇよ」つって強引に受け取ってバン!ってドア締めて。でも坪倉は家族が待ってるから「よし…帰ろう…!」っつってフラフラの状態でバイク走らせるんですけど、坪倉はもう心身ともに限界で……一瞬ウトウトした瞬間にバイクから落ちて全身打って(それが原因で坪倉は死んでしまう)血だらけになりながら大の字で道路に寝転がる坪倉。打ち上がる花火、マンションで乱痴気カス騒ぎする糞社長とその仲間、乱雑に残されたロールケーキ。バックで流れ続けるLemon
「(スゥ…)夢ならば…どれほど…良かったでしょう…?(ウェッ)」
ウェッ…は…俺の…泣き声だった…
みたいなことが毎話起きてしまう…おかしいだろ…俺の知ってる米津玄師はこんなミュージシャンじゃなかっただろ…こんな「ドラマから生まれました」みたいな曲を作るミュージシャンじぇねぇだろ…もっと頭イカれた「俺は俺だけの音楽を作る鬼」だったはずでは…待て…騙されるな…米津はいま地下から「あえて」地上に出てきて地上の人間向けにわかりやすい音楽をわかりやすくやってるだけ…多分あいつが本気出したら俺たち凡人は1ミリも理解できない、ほぼナメック語なんだよ…
だからこそ、俺は米津玄師が怖くて仕方がない。めちゃめちゃ知識があって専門的な話もできるはずなのに魚知らない一般人向けに「ギョギョギョ〜〜〜!」とかってピエロ演じてるさかなクンさんがたまに見せる「年下だろお前。さかな"サン"な。」と言わんばかりのあの表情を見た時と全く同じ。ロングコートの中は上半身裸にガーターベルトの変態なのに、普通の顔して日常に溶け込んで国民的ミュージシャンをやってるのが怖くて仕方がない。
『Lemon』を聴くたびに鳥肌が止まらない。『モニタリング』でプロスポーツ選手がジジイの格好して紛れ込むような違和感。ある意味、米津玄師は俺たちアホのために「手を抜いてる」…だが、それは決して音楽的に手を抜いてるんじゃなく、元々の変態性と大衆性をうまくミックスさせて『Lemon』みたいな極上の作品として昇華させてるとも言える…
これから先、コアな音楽好きも俺たちみたいなアホも唸らせるやり方を覚えた米津玄師が、これからアルバム曲とかカップリング曲じゃなくて「ノンタイアップのシングル」とかでリミッター外して好き勝手したら本当にバケモンみたいな曲を作りそうで怖いし、なにより一番の恐怖は、いつの間にか米津玄師の作るそんな変態音楽を心の底から欲してる俺…
米津玄師こわい