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漫画『累 —かさね—』感想

 

累(1)

累(1)

 

 

松浦だるまっていう漫画家の「累 —かさね—」を読んですごく面白かったので感想を書きます。 

簡単な話のあらすじは主人公の「累(かさね)」は化物のような容姿と母親が超美人の大女優ということもあって周囲から蔑まれて生きてきた少女だった。ある日、かさねは母親が遺した口紅を使う。その口紅には不思議な力がありその口紅を塗って誰かキスをするとその相手と顔が「入れ替わる」のだ。その力を知った「かさね」の生活は一変し、やがて女優として脚光を浴びていく、という話。これ漫画の内容を思い出しながら書いてるので自信ないが概ねこんな内容でした。

この漫画は「妬み」「嫉み」「美醜」といったものがテーマになっていて「人間中身だよ」とか「外見は気にしない」とか言う人間を真正面から鈍器でぶん殴ってくれるような漫画だと思った。結局、人が人を判断する一番の要素は結局「見てくれ」なのは紛れもない事実というのを良くも悪くも再確認させられます。

特に年頃の男に多いと思いますが、他人の外見をけなす傾向はとても強い。例えばクラスに太ってる奴がいるとハリセンボン春菜をいじってるのを真似したりして馬鹿にするし、自分や友達の彼女や好きな人の容姿が悪いと「ブス」とバカされる。そんな経験は誰でもある。

いじった側ははいじられた人間がその瞬間どれだけ傷ついているかっていうのはわかるはずもない。だって悪意がないんだから。その場が盛り上がればいいと思ってやってる事がほとんどで。だってそれが一番手軽にウケやすいんだから。ただ、それを公にやっている芸人はそこに「金」が発生しているわけで、「いじってくれてありがとうございます神様」という感じなのだろうけど、金も発生しない何の得もない子供や大人が自分の外見をいじられるっていうのは、自分も実際人の外見をいじってその場の笑いを取ったことはあるし、逆に自分の外見をいじられたこともあるからわかるけど人によっては耐え難い屈辱だろう。

そもそもそれが「いじめ」になるか「いじり」になるかは別の話なので置いておくけど、「なんでこんな太ってるんだ」とか「あの子みたいにかわいければいいのに」とかいう「美」への執着とか自分より美しい者を羨む感情っていうのはものすごいパワーを生むと思う。それが良いようにはたらけば例えば自分の外見を変えることをしなくても、アンガールズとか森三中みたいに自分の「武器」として身体的欠点を受け入れてさえしまえば、周囲はそんな自分を好きになってくれる。身近なとこで言えば小学校のとき鼻くそ食って散々バカにされてた女子が久しぶりに会ったらめちゃくちゃかわいくなってて周りにすごいちやほやされててたという事例がありまして。

けど、それを「武器」にできない人はたくさんいて、悪いようにはたらけば、そんな自分を受け入れられずにただただ他人を妬んだり、生まれてきた環境を呪ったりする。だからどんどん性格も暗くなるし、自分に自信も無くなる。身体的欠点がある人間みんながみんな芸人とか俗にいう「いじられキャラ」になるわけじゃないしなりたいわけでもない。自分の外見を受け入れなくても、「スポーツができる」とか「勉強ができる」みたいに外見は関係ない能力に秀でていればいいけど、かさねみたいに「演技」っていうどうしても外見に左右される能力だったり、そんな能力もない人間は、果たして希望を持って生きていけるのかというのを読みながら思いました。

結局言いたいのは、この「累(かさね)」は醜い自分を最後まで受け入れられず人生に絶望した「嫉妬モンスター」が自分の最大の欠点を隠せる口紅を手にしたことから始まる復讐劇だということ。最初はただ単純に「演じる」ことが好きで自分の演技を見てもらいたいために他人の顔を借りていたかさねが他人として人生を生きていくうちに「かさね」として生きていたなら絶対味わえなかったような体験をたくさんする。それは友情だったり、恋愛だったりする。「嫉妬モンスター」って言っても元々かさねは心の美しい女で、入れ替わる女を徐々に内面で超え、ついには顔は同じなのに外見でも超えてしまう。「美」への執着が人百倍強いかさねは当然「このままでいたい」と思うわけだし、相手の女は「このままじゃいけない」と思う。その2人や周囲の葛藤、駆け引きがすごくヒリヒリして面白し考えさせられる部分もある。

これ男の俺が読んでもゾッとしたから、女が読むとどうなんだろう、男以上に感じるものはあると思う。

とりあえず最新刊の5巻まで読んだ感想を書いた。展開はまた2転3転しているからどんなラストを迎えるのか想像もつかない。久しぶりに完結が気になる漫画でした。