小説を読むのが昔からあまり得意じゃない。小学生の頃、学校の朝のホームルームの後に「朝の10分間読書」という全員強制読書の時間があった。顔が左右非対称の担任に「これから皆さんにちょっと読書をしてもらいます」と言われ、断れば首に付けた爆弾が爆発するというシステムだった。今思えばなんで「娯楽」であるはずの読書を学校側から強制的に「読まさせられ」なければなかったのか、なぜあんな糞みたいな時間があったのか今でも疑問に思うことの一つだ。個人的には漫画を読みたかったのだが活字でなければ駄目、ということを言われたので仕方なく親の書斎にあった乙武洋匡の「五体不満足」を読んでゲロが出るほどつまらなかったのでそのせいかもしれない。
「五体不満足」を読み終わった後は木村拓哉のエッセイ「開放区」を読んでこっちは割りと面白く読んでいたので活字が嫌いというわけではなくて、やはり「小説」というものに対して少し抵抗があるのかもしれない。読んで面白かった小説といえば、貴志祐介の「青の炎」「悪の教典」、若松節朗の「ホワイトアウト」、雫井脩介の「犯人に告ぐ」でどれも実写映画を観た後に読んだもので「映画の補完」という意味合いが強い。
映画やドラマなどの映像作品だと、単にどんなにつまらないものだとしても、映画だと単に「2時間」、ドラマだと「週1、1時間」で終わるので「ああ、2時間無駄にしたな」と思うだけで済むし、観るときの基本スタンスとして好きな俳優が出ていたりするだけで良く、正直ストーリーはそんなに重視していないところがあるので映画一本観終わったあとでストーリーがつまらなかったとしても「石原さとみ可愛かったな」「堤真一の演技凄かったな」が作品の評価に直結するので映画やドラマの「駄作」と思うものは余程の事がない限りはそんなにない。本当につまらなそうなものは予告を観れば大体分かるし。
漫画も最初から画で好きか嫌いか判断できるのでその点は楽だと思う。ただ「ONE PIECE」と「BLEACH」は子供の頃からずっと読んでいて最近はあまり面白くないのに止め時を完全に見失い、どう終わるのかだけを楽しみに惰性で読んでいるのでいま毎週がとてもつらい。
一方、小説は完全に作者一人だけのものなので面白いかつまらないかの判断材料がストーリーと文体くらいで滅茶苦茶少ないし、長い上に止め時の判断が本当に難しいので全部読んでつまらなかった場合「この本読んでた1カ月なんだったんだ...」と絶望するので読むのが怖い。話は戻るが「ONE PIECE」も「ワンピースは...一人ひとりの心の中にあったんや!」というオチを読むのが本当に怖い。カラッポの宝箱にゴールド・ロジャーの手紙が入っていて「本当のワンピースとはお前達が過ごしてきた冒険の日々でうんたらかんたら」というオチを読むのが本当に怖い。ウソップがカヤに「っていう大冒険をしてな〜」と語る全部ウソップの作り話だったというオチを読むのが本当に怖い。
ただ小説の中でも「短編小説」は大丈夫だったので単純に長いものが読む力がないのかもしれない。以前、ラジオ爆笑問題カーボーイを聴いていて太田さんが最初から嫌いなうえで村上春樹の小説を全部読んだ上で「糞つまんねーんだよ馬鹿!」って言ってたんだけど批評としては「ちゃんと読んで批判」はすごい正しいけどそんな忍耐力は俺にはない。
ちなみにこの前読んだ「昼の性活 〜八百屋と団地妻」は面白かった。