フリーランスはその言葉の通り『自由』。
人種も、国籍も、出身地も、性別も、年齢も、宗教も、家族形態も、血液型も関係ない。誰がフリーランスをしてもいい。
今日、「どうして女はフリーランスをしていることを隠すのか?」という記事を見かけたがこんなことは言いたくはないが正直非常に下劣、下品極まりない畜生の内容だと感じた。
人がいつどこでフリーランスしようが、それは決してベラベラと他人に喋るものではない。自分はフリーランスしてると声高らかに宣言する男が上で女は下なのか。否、断じて否。
また昨日、40社の会社面接に失敗した大学生が「就職活動をすることを諦め、フリーランスをやる」と宣言した記事を読んだ。
彼は文中で他人と交わる生き方よりも、地方で一人せこせこと自分のメディアクリエイターを弄りフリーランスをするほうが魅力的だと感じたのだという。そして彼は他人と交わることのできない自分を「不適合者」だと嘆いた。
そんな彼の意見に対し、コメント欄には一部肯定的な意見もあったが「内定も取れない能力が無い人間がフリーランスなど笑わせるな」「ガキがフリーランス?十年早い」「地方でフリーランスは自殺行為」「社会を知ってからフリーランスしろ」などの辛辣なコメントが続いた。
それは違う。何度も言うがフリーランスとは『自由』。
能力が無い?子供だから?社会を知れ?現実を見ろ?嘲笑わせる。
俺の周りには、わずか七歳でフリーランスを経験した者や、未だに一日五度のフリーランスを習慣にしている者、家でフリーランスをすることでは満足できず人気のない公園や公衆トイレでフリーランスをしている者もいる。
齢三十を超えて、毎日大好きなアニメDVDなどを鑑賞し、自分のメディアクリエイターに好きなキャラクターに対する想いの丈をぶつけることを生業にフリーランスをしている者だっている。
それらは決して他人に誇れることではないのかもしれない。
だが彼らに共通して言えること、それは皆「自分らしく今を生きている」ということ。
フリーランスとは、その人がずっと自分の胸に秘めてきた想いを、情熱を、夢を、希望を、外に放出する行為だ。そこに大小、優劣はない。
むしろ若い頃、能力が身につく前にフリーランスに没頭できるのはとても素晴らしいことだと思う。歳を重ねていくにつれフリーランスをしていても楽しさよりも虚しさのほうが勝ってしまうからだ。俺は少し君達が羨ましい。
だから、誰になんと言われてもフリーランスをするということに自信と誇りを持ってほしい。
俺も中学生からフリーランスをしている。ある日、オナニーをするのに夢中になっていた俺は、背後から近づいてくる母親の存在に気づかなかった。母親はそっと俺の肩を叩き、「ご飯できたから」と言った。
自分で選んだ道に後悔はない。
自分の意思でリビングへと歩き始めた俺の人生がスタートした。
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