ドラマ『カルテット』最終話感想。
黒いリムジンに乗って白人に手を取られ、ゴリゴリの指輪を見せびらかしながら歩く女。「人生、チョロかった!」そう豪語する来杉有朱(吉岡里帆)、最後までブレないのがほんとうに気持ち良い。
ドーナツの穴のようになにか欠けたいわゆる「ダメ人間」でありながらもお互いに寄り添うようにして生きるカルテットメンバーとはまさに真逆。
「ベンジャミンさんも前にドーナツの話してましたよ。音楽っていうのはドーナツの穴のようなもんだ、なにかが欠けてる奴が奏でるから音楽になるんだよねって。全然意味分からなかったですけど(笑)」
ベンジャミンの言葉を理解できなかった彼女が、それでも最後あのコンサート会場に足を運んだのはカルテットのメンバーに対しなにかシンパシーのようなものを感じていたからだと思う。どこかのサイトで彼女のことを『悪女』と評していたがそれは違う。5話で彼女が「私はズボン履いてればノーパンでいい」と言っていたように、彼女にとってはなにが嘘でなにが本当なのかはどうでもいいこと、有朱と結婚した白人がズボンにノーパンなのかは知らんが、有朱自身がスカートにノーパンの女、7割本当で3割嘘の水人間。それこそ、嘘からはじまって嘘でつながってそれがいつの間にか本当になっていったカルテットとはまるで正反対の生き方だ。人生は不可逆だとさんざん説いてきたこのカルテットにおいて唯一バック運転で人生を逆走していく女。彼女にとっては生きることに善も悪もない。だからこそ、作中でもあえて彼女のバックボーンを多く語らなかったのだと思うし、もしなにかの理由があって彼女がそういう生き方しかできなくなっていたとしても有朱はきっと「え?そうなんですか?」と他人事のようにあっけらかんと振る舞うだろう。そんな彼女にずっと振り回されたい人生だった。とりあえずハンドルネーム・ゾゾにします。
1年待つカルテットと、2ヶ月待てない吉岡里帆。ともあれ、カルテットメンバー的な生き方をするのか有朱的生き方をするのか、どちらが正しくてどちらが間違ってるかは人それぞれだと思う、有朱のように白黒はっきりつけるでもよし、カルテットメンバーのようにグレーなまま生きていくでもよし、自分にとって楽しいほうを選べばいいんだと教えてくれた。無理に答えを出す必要もない。
実際問題、このドラマ自体もさんざん『全員片思い』と触れこんでおきながら飛び出た矢印は最後の最後まで向き合うことはなかった。それは残された三人の「真紀を待つ」という共通項があったからこそ、彼女が帰ってきた時に居心地の良い以前と変わらない関係性を保ってたんだろうなぁとも思う。 (「いや1年経ってなんもねぇことはねぇだろう」とも思ったけど)。
ただ正直、『問題のあるレストラン』なんかでも感じたが「彼らの日常はいつまでも続いていくー 坂元裕二先生の次回作にどうぞご期待ください!」的な終わりかたは視聴者に委ねすぎな感じがして微笑ましくもみぞみぞというよりはむしろむずむずした。個人的にこういうむず痒いラストが苦手なので『最高の離婚』みたいにいつかスペシャルドラマかなんかでなんらかのケリはつけてほしいなぁと思った。
なんにせよ、
ー真紀(松たか子)がカルテットを去って1年が過ぎようとしていた。しだいに音楽からも離れ四角関係から三角関係になったことで、三人の関係は微妙に変化していた。徐々にすずめに心惹かれつつもまだ真紀のことを忘れられない別府(松田龍平)。そんなとき、すずめ(満島ひかり)が仕事で海外に行くことになる。
すずめの仕事を応援したい別府は、わざとすずめに対して冷たい態度を取る。出発当日も、なにかと理由をつけて見送りに行こうとしない。そんな別府をとつぜん殴る家森(高橋一生)。
「なっ、なにするんですか?」
「なにつまらない意地張ってんだよ!この1年、君の側にずっといたのは誰だよ!?いいかげん自分の気持ちに素直になったらどうだよ!」
「…で、でも、家森さんもすずめちゃんのこと」
「フッ、僕はもうとっくに振られてるよ…だからここで別府君が諦めたら僕に失礼だ、好きなんだろ?すずめちゃんのこと」
「家森さん…」
「まだ飛行機、間に合うんじゃないの?」
「ありがとう」
急いで空港に向かう別府。
「…はぁ、つくづくお人好しだな、僕も」
ひとり涙する家森。
空港についた別府だったが、いままさにロビーを通過しようとしているすずめ。
「すっ、すずめちゃん!!」
「別府さん…?」
「…すずめちゃん!好きです!世界でいちばん君が好きです!僕が君の側にいます!ずっと側にいます!」
「別府さん…で、でも、わたし、今からニューヨー…んっ」
キスで口をふさぐ別府
「Wi-Fi、まだつながってますよね」
「…はい」
人目もはばからずに抱き合う二人
まっくろななかにひとつ〜〜〜♪
的なラストじゃなくてマジで良かったです。