ポルノグラフィティ主題歌の映画版PV解禁 大泉洋主演『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』
かつてポルノグラフィティのシングルでこんなにもド直球なタイトルがあったか。いや、ねぇ。シンプルに単語だけのタイトルは山ほどあるが、「アポロ」だの「アゲハ蝶」だの「メリッサ」だの、どれも曲名としては使われない言葉を選んで使ってたはずだ。ポルノグラフィティの、新曲のタイトルが、フラワー。度肝の二枚抜きです。
ポルノグラフィティひいては新藤晴一という男は「いかに自分の作詞した曲に爪痕を残すかを考える妖怪・爪痕残したがり」で、例を挙げれば『ゆきのいろ』という曲はタイトルをそのまま「雪の色」にすると中島美嘉の『雪の華』他に被るってことでひらがなの「ゆきのいろ」にしたり、『LiAR』という曲もB'zの『Liar! Liar!』他に被るってことで「i」だけを小文字にしたりする男が、ただでさえ「この世に2兆曲あるんじゃねぇか」みたいな散々こすられにこすられ続けてきた「花」「フラワー」っていうタイトル、テーマにするってことがどれほどのもんなのか。言葉軽いんですけど「本気って書いてマジ(本気)じゃん…」って思った。
先日のラジオでもしきりに「人の一生」をエンターテイメントに、ポップスにすることの難しさを口にしてたように、これだけ歌詞に対して悩んでる新藤晴一を見たのははじめてかもしれない。なんなら「完成したのにちょっと納得してなくない?」くらいの印象受けたし。それでも、悩みながら苦しみながらゲボ吐きながら生み出したこの曲、ポルノグラフィティの「マジ」の曲を、こっちも耳をダンボ、いや耳をメリッサにして聴かなきゃならねぇじゃないですか。それで、フル音源が解禁されてからずっと聴いてるんですが正直、この曲を全然つかみきれてません。歌詞もメロディも声も、今までの楽曲と比べてもどっか異質で、優しくて強いんだけど、怖くて弱い。
例えば歌詞。今回の歌詞には新藤晴一が得意とする皮肉もパンチラインもない、ただただそこにあるものを丁寧に描いてる。死にゆく主人公を「花のような君だった」つってる歌詞は腐るほどあるがそうじゃない。終始、小さな一輪の花を「生の象徴」として描きつつ、最終的に星だとか大地みたいなドでかいものまでフォーカスして「命」っていう確かにそこにあるんだけど不確かで概念的なものを包み込む歌詞。人をあえて描かないことで逆にどんな曲よりも「人」を感じる。毛布か。雪山で毛布かけられてるみたいなあったかさだよ。
そしてメロディ。イントロの「テロテロテロテロテロテロ………(ポォワポォワポォワポォワポォワ…)」からもうすっごい不安になってなにが始まるんだと思ったら、2番始まりの「バッタが言う…」
テロテロテロテロテロテロ………
ファッ…
ドゥデェーデロデロ……
ここの相変わらずの無音使いの上手さで心臓止まりそうになるのに、ラスサビ前の打ち込みでゾウの一歩みたいなバカでかい強さ感じてめでたくギャップで心臓麻痺。この不安が一気にサビで開けて希望が満ちてくるんですけど、この全体通してのメロディバランスっていうのか、バラードだからっつって重くなりすぎず、ポップ塩梅を貫き通してる感じ、ここがポルノグラフィティのバラードの「妙」なんですよ。
そして声。岡野昭仁の声もどっかか細くて消え入りそうで、一声目の「なぜ こんなとこに咲いた?」の「なぜ」からぐっと直接脳内に声注入されてる感じ。この掠れと滑らかさのミックスこそが2018年岡野昭仁の真骨頂。サビ終わり一回目の「フラワァ……」とかもう切なさの針で胸ぶっ刺されたみたいな感じになるのに、かと思えば100パーの圧で「ひとォーーりじゃない!」「ひかァーーーりあふるゥ!オオーーー!」とか、一曲に何人いるんだよ。あれ?ポルノグラフィティってゴスペラーズみたいな何人もボーカルいるタイプのグループだっけ??みたいな錯覚に陥るんですよ…。こわい。
…みたいな感じで、曲のどのポイントがスゴいっていうのは何千文字だろうが書けるのに、全体としての奥深さみたいなとこには全ッッ然踏み込んでいけねぇ。使ってる言葉も音もものすごくシンプルなのにとんでもねぇ深さを感じる。考えれば考えほど、聴けば聴くほどドツボにはまって抜け出せなくなってる。限りが無い。曲名『フラワー』なんですけど、ある意味『Mugen』。は?
「ポルノグラフィティという国があるとしてどの曲を国歌にするか」というのはみな常々考えていると思うんですが、ぜひ『フラワー』を国歌として共有してもらって国民全員でこの曲について考えていきたい。