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ミクスチャーブログ

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映画『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』はもはや「随筆」

テレビアニメや映画の前後編の完璧な締まりから、[新編]なんざどんな劣化させられるのかと思ったらこれ以上ないほどすべてにおいて完璧な[新編]でおしっこ漏らしてしまいました。

前半の超平和ストーリーと恥ずかしさの中にある、ほんの少しの気持ち悪さと違和感を全回収する中盤〜後半にかけての超展開。どんでん返しに次ぐどんでん返し。もはやこれは「アニメ」という体裁を保った「随筆」です。

『徒然草』『枕草子』『方丈記』そして『まどか☆マギカ』。100年後、確実に教科書に載り、センター試験の問題に出ます。「このときの暁美ほむらの心情を述べよ」と。

まず、冒頭の視聴者への感情のブン回しが室伏広治のハンマーでした。

テレビアニメじゃラストはまどかが神になることで世界は作り変えられ、それによって魔法少女たちは運命の連鎖から解き放たれた、的な締めだったのに、冒頭でいきなり出てくるんですよ神、ふつうに出てきて朝メシ食うんですよ神。

この時点で脳破裂するほど混乱します。アニメ12話が、映画4時間がなにもなかったかのように「王道魔法少女アニメ」やってることに頭バグってくる。「なんだこの世界は」と。なんだこの同人は。パラレルワールドは。杏子てめぇ最終学歴小卒だろうが。なにしれっとクラスメイトやってんだコラ。なにが「キュゥ」だよきっしょと…

そして、世界観がかわいければかわいいほど、5人がみーんな仲良く幸せそうにすればするほど、ゴミ屑糞白イタチがキュゥキュゥとマスコットに徹せば徹すほど、見てるこっちは言いしれぬ違和感と恐怖で気が狂いそうになる。なにが「ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテット!」だよくだらねぇ。変身シーンにバカみてぇに時間割きやがって。はやくやめろこんな茶番バカしょうもな。

 

 

杏子の変身で血管切れるほど興奮しました。

 

心のどっかで「このまま物語進まないでくれ…」って願う俺がいるんですよ…。彼女たちだけじゃなく俺もまた「それ」を願っていたんだと。まどか、ほむら、マミ、さやか、杏子の5人が手を取り合い、生きていく物語を。つくりもの、まがいものでもいい、間違っててもいい、この世界が永遠に続いてくれよって……。

だってわかってるから。こんな幸せな世界がこのまま続かないことは。だってこれは「まどか☆マギカ」なんだから。ゴミ屑糞白イタチがキュゥキュゥ以外の言葉を発したとき、それは終わりの始まりだって。わかってんだから、こっから絶望のどん底に落とされんの、わかってんだから。

 

そして、先に待ってたのは絶望なんてそんな生易しいものじゃありませんでした。いや、そりゃあ絶望なんだが、これを「絶望」なんて言葉で片付けていいんか。いや良くねぇ。目の痛くなるくらいに作り込まれたイヌカレーの作画やゴミ屑糞白イタチがもたらす糞味噌展開に目が行きがちだが、このアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』って作品は結局のところ「愛されたい」「愛したい」と願った一人の女の子の物語なんだと。難しそうに見えて難しいことなんてなにひとつないんですよ。しかも、これって決して夢物語じゃない。人はみな誰しもが心のなかに自分だけの『まどか』がいて、それを守るためならなんだってする、なんにだってなれる。

 

そういうことなんだと思ったんです私は。

 

物語終盤の展開を「闇堕ち」だなんて表現する方もいらっしゃるかと思いますが、それは違うと思うんですよ。そこには闇も光も、良いも悪いもない、あるのは少女から少女への「愛」のみだと。彼女は闇に堕ちたんじゃない、「愛成り」そう「愛に成ったんですよ……。

なにを言ってるんでしょうか私は。「愛成り」とか書いたとたんに薄っぺらくなったじゃねぇかよ。なにが「愛成り」だよ。どこの5流シンガーソングライターの曲タイトルだよ。絶対売れねぇだろこんな曲。

俺はしょせん、まどかにもほむらにも、なれないただの雑魚。せいぜいタツヤだよ。わけがわからないよ。