ジャンプで連載中の『約束のネバーランド』という漫画があるんですが、これがいま現存してるあらゆるエンターテイメントのなかで一番面白い。
ある孤児院でシアワセな生活を送っていると思っていた子供たちが実は「人間を食う鬼のための食用児」で、自分たちの運命を変えようとする子供たちとそれを許さない大人、そして鬼との壮絶な戦いを描くストーリーなんですが、「いやこれ以上は面白くならねぇだろ」というところからどんどん面白くなってくる。 話が進むごとに尻上がりに面白さ増してきて気づいたらネバーランド中毒になってる自分がいた。読むストロングゼロ。
この漫画、基本的な図式はガキVS大人・鬼で、普通に考えて力でも頭脳でも劣る子供が敵うハズない。まともに戦ってたらワンパンでKO。でも「優秀な子供のほうが鬼にとっては美味い」「だからこそ孤児院で優秀な子供を育てている」「それゆえに簡単に殺せない」という設定を作ることで「大人並の知能を持つ子供」をなんの違和感もなく成立させている。この設定の妙こそが魅力のひとつ。さらに、その中でもとびきり優秀なエマ、ノーマン、レイという3人の天才キッズを物語の中心に据えることで、大勢のキャラクターが登場する物語のなかでも読者の視点がブレることがなく、スッと入り込むことができる。
真っ直ぐに理想だけを追い求めるエマ、合理主義でドライだが実は周りのことをちゃんと考えているバランサーでもあるレイ、子供達はもちろんだがエマのことをなにより一番に優先するノーマン、この3人の目的はパッと見同じのようでほどけることのない固い絆で結ばれてるように見える、でも実はそれぞれがそれぞれの思う理想のために動いていて、時にその理想のズレによってぶつかり合う。
エマは食用児すべてを救いたいプラス人を食う鬼すらも救えないかと考えていて一番言ってることはジャンプ的で読んでるこっちも応援したくなるTHE主人公タイプではあるのだがその真っ直ぐさがたまに怖くなる善玉サイコ。レイはそんなエマの考えを「甘い」と思いつつも、どこか彼女に共感している部分もあってエマのブレーキ役になりつつも最善の方法を模索し続けてる。そしてノーマン、ノーマンは本当にノーマンとしか言えない。ノーマンはどこまでいってもノーマンというかこの漫画の8割はノーマンでできてる。「約束」と書いて「ノーマンのネバーランド」と読む。この3人の考え方の違い、そこから生まれる迷いや葛藤、ぶつかり合いながらもどう着地していくのか、というところもこの漫画の魅力の一つ。
物語は大きく分けて現在まで3部構成になっていて、大人の目を欺いて孤児院からの脱獄を目指す『GFハウス脱獄編』、唯一の協力者・ミネルヴァを探す『ミネルヴァ探訪編』、そして『邂逅編』。なかでも『GFハウス脱獄編』は子供たちのママでもある「イザベラ」のキャラ立ちがハンパじゃなく、1章の主役と言っても過言ではないほどの存在感を誇っている。いくらエマ達があの手この手を使って出し抜こうとしても常に二手先三手先まで読んでさらに上を行くまさに「最強の敵」。1巻から5巻までで読者を一気に引き込むパワーが本当にすごい。
ただ、ゆえに読者もこの『GFハウス脱獄編』でピークを迎えてしまい『ミネルヴァ探訪編』は中だるみだという意見が見られるのも事実。たしかに脱獄編のヒリつくような頭脳戦心理戦の応酬から、ただの脳筋バトル漫画へシフトチャンジした感はあるが、それは完全な間違いだと声を稲葉にして言いたい。最新話まで読むとこの『ミネルヴァ探訪編』でエマたちが経験したことは全部意味がある展開だということがわかる。どうしようもない現実や仲間の死、命の殺り合いを経験してもエマはその純粋さや理想を貫けるのか、という重要なターニングポイントになる部分なのでぜひそのことを頭に入れてもう一度読んでもらいたい。
そもそも、力で勝てない大人や鬼に「知恵」という唯一の武器を使って戦っていたのが『GFハウス脱獄編』なら、『ミネルヴァ探訪編』からは鬼や大人に負けないだけの「武力」そして「情報」を得たからそれを使ってるだけの話であって、なにもこの漫画は地頭比べをメインにやりたいわけではなくそれは面白さの一片に過ぎない。冒頭でも書いたように「抗えない現実からどうやって生き抜き自分たちの運命を切り開いていくか」という部分、それこそが『約束のネバーランド』の肝で、それは『ミネルヴァ探訪編』に入っても1ミリもブレてない。「生き抜く」これをふまえたうえで、物語を読み返すと、『約束のネバーランド』が単なる心理バトル漫画ではないということがわかる。
そして『邂逅編』。この『邂逅編』こそがおそらく『約束のネバーランド』で最も重要な部分。ここから物語は加速度的に進む。子供たちが、鬼たちが、大人たちが、どういう選択をするのか。知りたけど、知りたくない。ラストを想像するだけで、漏らすくらい怖い。
最後に、この『約束のネバーランド』の最大の面白さ、そして怖さ、それは「人間を食う鬼と鬼に食われる人間」の設定が決してファンタジー、絵空事ではないという点にある。われわれもふだんの生活でブタや牛を食べて生きている。そのブタや牛にしてみれば、優しい農家のおじさんおばさん、あったかい寝床、おいしいゴハン、こんなシアワセな生活はない、と信じて暮らしている。そう、ブタ達からしてみてばまさか自分達が「食われるために育てられている」なんて夢にも思わない。ブタたちは「人間に食べられて嬉しいブー」なんてたぶん1ミリも思ってないだろう。だが、人間はより美味いブタ、より美味い牛を食うという目的のためにブタや牛に真実を告げず、大切に大切に育て、出荷し、切り刻み、ミンチにし、焼き、炙り、塩タレをつけ、食う。人間を食う鬼となにが違うのか。
そう、この『約束のネバーランド』で鬼として描かれている存在とはわれわれ人間なのではないだろうか。「エマがんばれ。レイがんばれ。ノーマンがんばれ」と応援していたわれわれこそが「鬼」そのものなのではないかということに気づいたとき、「命を食らい生きる」ということの本当の意味をもう一度考え直すキッカケになった。
…そんなことをふまえて、今日食った松屋の「豚肩ロースの生姜焼定食」…もう変なヨダレ出るくらいうまい…。人間って鬼。