再生ボタンを押した瞬間にいきなり始まる、
「明けェ放れたァ〜〜〜〜…!この部屋にはァ…誰もいなァァァアァアアァァい…!」
そして、「ヒィィィイイイイイッッッッ……」というストリングスの音からの、
「星がァ〜〜〜!!降るよォォォオオオオるにィィイイイ! あなたァァァアにあえたァァ〜〜〜!あのよォ〜〜〜〜るをわァァすれはァしなァァアアアアい……!」
このサビ。一気に全身の血が循環してカーっと体中が熱くなる、「急にクる」感覚。
そう、これが米津玄師が編み出した「アズ・スーン・アズ・ボイス・メソッド」です。
通常バラード曲の構成は(サビ→)イントロ→Aメロ→Bメロ→サビがほとんど。サビまで1分以上サビで30秒以上、1番を聴き終わるのに1分30〜2分は余裕でかかる。だから曲によっては一番良い部分に行く前に聴き手がダレてしまうこともある。
しかし「アズ・スーン・アズ・ボイス・メソッド」(最近では菅田将暉に提供した『まちがいさがし』にも使われている)はAメロ→Bメロ→サビとイントロ部分を丸々ぶった切ることでほんの30〜40秒でサビに到達、結果1分ちょっとで1番を聴き終わることができる。この「30秒」の差がとてつもなくデカい。曲時間が短縮されることでバラードにアップテンポ並の疾走感が生まれ、最後まで集中して聴けてしまう、聴かされてしまう。「曲の強制力」がウシジマの督促。
しかも、イントロぶった切ってAメロから歌い出しサビまでのスパンを異常に短くすることで、聴き手の脳の処理スピードが曲にまだ追いついてないのに突然ただごとじゃない最強のサビがはじまり「この曲なんかすごい」という漠然とした情報がだけがブチ込まれる。それにより脳と耳がバグって「一発聴いただけで耳に残りまくるキャッチーさがありつつも意味がわからないから飽きることなく何回も聴きたくなる」という謎の現象が起きる。これが「アズ・スーン・アズ・ボイス・メソッド」。
それだけじゃない。3分54秒という短い時間のなかで聴き手の感情を上下させる細かい仕掛けの数が忍者屋敷。例えば、1番サビの「忘れはしなァい…!」も「ァい…!」で一瞬主メロに反して(フェーーーーン…!)という音が鳴ってその不安定さに心の揺らぎとか切なさのようなものを感じるのに、ラスサビは光が差し込んだかのようにストリングスがスパーン!とそのまま突き抜けていく。そして、2サビ前の間奏の(キュゥキュゥ…)というクジラの鳴き声のような音からの(ヒィィィイイイイイイイッッッ……グォォォォオオオオオ…………)というなんらかの音と相まって、水中に潜って潜って潜って白目剥いて気絶しそうになるギリギリ一歩手前でバッ!と顔出して息吸ったときの苦しさと気持ち良さが生まれる。
これが「オフィシャル米エクスタシズム」。
そしてなにより衝撃を受けたのが、初めて『海の幽霊』を聴いたときに感じた「米津玄師の顔の近さ」。
米津玄師の曲は個人的に「引き」で見るイメージで、暗がりで表情がわかるかわからないかくらいの微妙に離れた距離から歌ってると思ってた。でも『海の幽霊』は聴いたとき、脳内の想像で歌っている米津玄師の姿がめちゃめちゃ「寄り」に見えた。
聴いてる自分と米津玄師が、堺雅人と香川照之、出川哲朗と上島竜兵の顔の距離、くちびるとくちびるがくっつくほど近くて、歌ってるときの表情、息づかいがはっきりとわかった。曲はどこまでも神秘的で壮大なはずのに「米津玄師」という一人の人を感じられたような気がした。
これは、いつもよりどこか感情的な歌い方であったり、歌詞に散りばめられた『海獣の子供』の物語を想起させるような言葉の数々からも伝わるように、米津玄師が作品そのものを心から愛して曲を手がけたからこそ生まれたあたたかさなんだと思う。インタビュー記事で米津玄師がこう語っていた。
最初に読んだのは18歳ぐらいだったと思います。(中略)本当にこの作品からはとても影響を受けていますね。実はずっと「もしこのマンガの主題歌を作るんであればどういう音楽になるんだろうか」みたいなことを頭の中で考えたりもしていました。
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi14
『海獣の子供』『米津玄師』『海の幽霊』、すごい。結果「すごい」としか言えない。でもそれでもいいと思った。大切なことは言葉にならないから。