ポルノグラフィティ岡野昭仁が鬼滅の刃の主題歌『紅蓮華』を歌ったとき、岡野昭仁は「歌柱」になり、俺は「耳柱」になりました。
「歌柱」岡野昭仁の凄さ
まず、単純に「声がデカすぎる」
岡野昭仁の歌を聴いたあとに「三四郎相田のしゅーじまんチャンネル」を流すと落差で鼓膜ちぎれそうになる。スタジオで歌っていても、まるで東京ドームで歌っているかのような圧倒的な声量と広がり。岡野昭仁に地球は狭すぎた。そしてそれと同時に目の前で歌ってくれているかのような「臨場感」も感じられる。岡野昭仁の声は海であり空であり水であり草。遥か先にも、目の前にもある。
さらに異常な滑舌の良さから繰り出される天を突くハイトーンボイスで「ここが節の終わり」「ここがサビ」「ここがCメロ」と聴き手にピンポイントで提示してくれる「わかりやすさ」が生まれる。ここは引いて聴けばいいのか、ここはグッと前に出て聴けばいいのかと、耳にあった最適な聴き方を提供してくれる。声の進研ゼミ。全国一斉岡野昭仁声力テストで満点取れる自信しかない。
さらに聴きどころで一気に声のペダルを踏みちぎりメーター0から10,000に加速させる「瞬発力」。今回の『紅蓮華』でいえば、特にサビの
「紅蓮の華よ咲き誇れ! 運命を照らして」
クライマックスで
「ぐれェええゥんのハナヨォーー!さァきほこれェーー! 」
ここの中性的な声からの
「運命をォゥ…照ら゛してェェ…」
で一気に野太い男になる、この「緩急」。「ハナヨォーー!」のファルセットで鬼の体は溶け、「ら゛」の超絶ワイルド濁らせボイスによって粉々に砕け散る。無惨様ワンパン。
さらにメロ部分、
強く「ゥ……」なれる「ゥ……」理由を知った「ァ……」
泥だらけの「ォ……」走馬灯に酔う「ゥ……」
この言葉の切り方、ブレスの吐き方が最強。高音の爆発力に目がいきがちですが、低音の「色気」が最大の魅力。岡野昭仁とは歌柱でありエロ柱。サビの高音とメロの低音のギャップに心停止。逆不死川です。
そしてそれらを支える圧倒的な「歌筋力」、難易度の高い曲も完璧に歌いこなす安定感。ポルノグラフィティの曲はカラオケでとても人気なのに満足に歌いこなしている人をほとんど見たことがない、それは岡野昭仁の歌筋力が高すぎて「自分でも歌えるかも…」と錯覚してしまうからだ。難しいことをそれこそ呼吸をするようにサラリとこなす歌柱の力は誰もマネできない。
さらに曲を自分の声に飲み込んでしまう唯一無二の個性を具現化した声色。カバーのはずなのに岡野昭仁が歌った瞬間にそれは「ポルノグラフィティの曲」になってしまう。人の曲なのにめちゃくちゃデカイ文字で「お!か!の!あ!き!ひ!と!」って名前書いちゃう。
「広がり」「臨場感」「わかりやすさ」「瞬発力」「緩急」「色気」「歌筋力」
これら要素によって強制的にこちらの耳がゾーン状態「耳の全集中」に入り、そして聴き手は「耳柱」になる。
「耳柱」とは
「耳柱」になると、簡単に言えば
「歌がめちゃくちゃ入ってくる」
ふつう、曲のスピードが速ければ速いほど、メロディや歌詞が独特であればあるほど、相対的にすべてが聴き取りづらくなり、結果なに歌ってんだかよくわからなくなる。しかし岡野昭仁の声はそれを完全に否定する。
どんなにめちゃくちゃな譜割りの複雑なメロディでわけのわからないアレンジを施した変態曲だろうと、前項で書いた「滑舌の良さ」「天を突くハイトーンボイス」「圧倒的な声のデカさ」「速遅自在の瞬発力」「エロ柱の低音」によって、一声目を発した瞬間にダイレクトに脳まで届く。
『紅蓮華』で言えば2番の
水面下で絡まる善悪 透けて見える偽善に天罰
I don't need you!
逸材の花より 挑み続け咲いた一輪が美しい
聴き取りやすさが異常。声の雨が気持ち良すぎて頭おかしくなる。岡野昭仁の声は銃弾。全身に浴びて死にたい。岡野昭仁によって覚醒した耳は、岡野昭仁から吐き出される言葉の全てを捉えて逃さない。一発でそのメロディと歌詞が脳に刻まれ、耳に張り付いて離れなくなる。
こうして、耳の機能のすべてが「岡野昭仁」を聴くためだけに存在しているような感覚になる、全集中岡野の呼吸。それが耳柱、
…耳柱ってなに?
以上、竈門炭「耳」郎でした。