3年前にその存在を知って一発で心ブチ抜かれたOfficial髭男dism。なかでも『Pretender』は去年確実に親の声より聴いた曲で世間的にも異常に流行り、近所に住んでるランニングシャツに坊主頭の鼻水垂らした恋愛のれの字も知らないであろう子供ですら「ぐっばい〜〜〜!おっぱい〜〜〜!」って叫び倒してて、もはや「日常」と化してた。
その曲を俺の「人生」と言い切ってもいいポルノグラフィティの岡野昭仁が歌う…耳の宝くじ10億当たった。
シンプルに「耳が終わってもいい」と思った。
「大大大大大好きなミュージシャンが大大大大大好きなミュージシャンの大大大大大好きな曲をカバーする」
そんな魔法のiらんどで投稿されまくってる妄想夢小説みたいな話が、奇跡が起きた。岡野昭仁でいえば2014年のラジオ番組『LIVE IT UP』にて、ミスチルのEverthing(it's you)を弾き語りしたとき以来の「終わってもいい」だった。今日をもって聴覚が終わってもいい。完全に役目果たした。それくらいヤバかった。めちゃくちゃめちゃくちゃヤバかった。
「太陽に近づきすぎた英雄は蝋で固めた翼をもがれ地に堕とされる」
そんな感覚だった。聴く太陽だった。翼もがれてもいい。
『Pretender』、ひいてはOfficial髭男dismの音楽の核は「韻」にあると思っていて、歌詞と音を完全に一体化させることで曲の爽快感と耳触りの良さを120パー引き出してる。Pretenderでも
「ラブストーリー」「予想通り」「アイムソーリー」「いつもどおり」…
Aメロから終始韻を踏み続けリズム感を出し、ボーカル藤原聡の美しくも快活な声でサラッと韻を踏むことで叶うはずのない悲恋を歌っているはずなのにどこか軽やかに聴ける。
対して、岡野昭仁。踏む力が強すぎて地割れ起こすレベルのストンプ韻。歌詞の一言一言を噛み締めながら情念鬼込めで歌う。歌詞に込められたメッセージと重みが形ある粒になって、ダイレクトに耳にブチ込まれるギガPretender。もはやカバーの域を超えてある意味完全に「別の曲」になった。それが一番現れたのがサビ、
岡野昭仁「グッッ!!
バイッッッ!!!」
千日戦争中のグッバイ。死んでも帰ってくるからのグッバイ。世界が平和になったらまた一緒に暮らさないか…でも魔王を倒すまでは…のグッバイ。運命じゃないと知りつつも最後の最後までそれに抗い続けてやろうのグッバイ。髭男のグッバイが別冊マーガレットで連載中の恋愛漫画のグッバイだとしたら岡野昭仁のグッバイは完全に週刊少年ジャンプのグッバイ。バトル漫画のグッバイ。バカでかい大剣とか持ってる。
呪われし血も、背負いし罪も、全て受け止めて前に進む覚悟の「グッバイ!!!!!!!」一生消えない鳥肌立った。
しかも岡野昭仁は強さだけじゃなく「弱さ」も表現できるボーカリスト。このブログでも何億回と言ってるんですが、岡野昭仁の真骨頂とは「歌い終わりのブレスの吐き方」にある。
「一人芝居だァ……」
「側にいたってェ……」
「ただの観客だァ……」
「悪くはないけどォ……」
「知ったァ……」
「ピンとこなくてェ……」
「夜景ィ…みたいだァ……」
全身から色気がダダ漏れするようなアダルト吐息。弱く優しく切なくエロい。聴けばただただ失神する。入れるときはバッ!と入れ、抜くときはスッ…と抜く。普通のボーカリストの抜き挿しメーターが0〜100だとしたら岡野昭仁は−100〜10000、ここの振り幅が異常に広く、そして速い。「強さ」と「弱さ」が完璧に同居している声、それが岡野昭仁。
「歌で一番大切なことは、語るように、自分の言葉のように歌うこと」
とかよく言うが、まさにそれ。どんな曲の主人公にも成り切り自分の色に染めてしまう。岡野昭仁の憑依能力はファンですらたまに恐ろしくなる。自分含め作詞者が4人いるポルノグラフィの多様すぎる曲を全て歌いこなしているからこそ為せる業。改めてその凄さがわかった。
そして、強さも弱さも全てを内包したラスサビ
「君はァ………綺麗ィ……だァァァァァアアアアアアア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!(6秒)」
…こんな「綺麗だ」聴いたら永遠に岡野昭仁からグッバイできねぇ…Official髭男dismのPretenderっていうかPorno歌上手男akihismのForeverだよ…とても綺麗だァ……