えー……King Gnuさんの新曲『三文小説』、これはKing Gnuの新曲です。King Gnuの新曲。ドラマ『35歳の少女』の主題歌です。歌っているのはボーカル井口理さんです。King Gnuのボーカルは井口理。井口理(いぐちさとる)さんです。男性です。まだ発売されていませんが、この情報だけは間違いありません。確定事項です。
が……この情報を1,000,000回頭の中でリピートしてから聴いても……
「この世界の誰もがァ……………」
だ…誰………?
マジで誰ですか…?え……?歌ってるのKing Gnuさんですよね…?King Gnuボーカルの…井口理さんですよね…?は…?は………?ちょ……もう一回……
「この世界の誰もがァ……………」
え……?誰…………?
待てちょっと待て、一回冷静になれ。井口理の声が日本でも類見ないほどの超絶高音美声だってことはわかってるわかってる、それは知ってるんだよ。俺だってバカじゃねぇから。回数で言えば誇張でもなんでもなく去年は親の声どころか、自分の声より井口理の声聴いてますから。それくらい耳に永久インストールされてる声…されてるはずなのに…この三文小説を何回聴いてもイコール井口理にならない。脳が耳が処理できない、どうなってんだこれ
「この世界の誰もがァ……………」
誰…………?
まだこんな声隠し持ってたんですか…?海外で活躍してる歌姫ゲストボーカルに加えたのかと思った。マジで井口理だった…聖声…聖なる声……ディーバ…男ディーバ…歌姫っていうか歌王。もはや本当の意味での「歌広場」は井口理
喉6個ついてないと人間には出すことのできない声……ミックスボイスと裏声の中間とでもいえばいいのか、あまりにも繊細で美しすぎる、のに強い。喜怒哀楽すべての感情を内包したような声。
そして常田大希の書く歌詞が井口理の声の美しさを何倍にも増幅させてる。『三文小説』は言わば「生きることへの圧倒的肯定」、悲しき運命、呪われた血、背負いし罪すらもすべて受け入れて包こんでくれる。「こ…こんな…俺でも…生きてていいんですか…?」と涙流れる。生まれたぶり以来の純度100パーの綺麗な涙が。
「この世界の誰もが君を忘れ去っても ずいぶん老けたねって今日も隣で笑うから
怯えなくていいんだよ そのままの君でいいんだよ 増えた皺の数を隣で数えながら」
「駄文ばかりの脚本と三文芝居にいつまでも付き合っていたいのさ
君の不器用な表情や言葉一つで救われる僕がいるから」
「止めどなく流れる涙雨が 小説のように人生を何章にも区切ってくれるかな
愚かだとわかっていてもなお歩き続けなきゃいけない物語があるよ」
常田大希の歌詞からは「愛」しか感じない。King Gnuに対して、ある側面を持って言えば「怖い」というイメージを持つかも知れないが、King Gnuの、常田大希の書く歌詞から感じるのは宇宙より広い規模の愛であり、優しさ。人間の弱さも醜さも汚さも隠すことなく全部さらけ出しているからこそ、そこに希望を感じることができる。
ありきたりだけれどありきたりではない言葉を愛を持って紡ぐことのできるミュージシャンを「いかに好き、愛してるを使わずにラブソングを書けるか協会」と呼びたい。
度肝抜かれるのが後半、前半のオーケストラのような壮大さから、間奏〜ラスサビに入った瞬間に一気に音が爆発し全身が破裂する。ビッグバンが起きる。雄々しく猛々しい攻撃性、King Gnuのもう一つの側面。それまでの美しさ、繊細さにある意味で反比例するかのように勢喜遊と新井和輝のリズム隊が暴れだす。賛美の機関銃ドラム、心臓ベース。歌詞の世界観に対してメロディが負けるどころかそれを上回ってくる。だからこそ、ラストで再び戻ってくる雨上がりの空ように静かなAメロがより美しく輝きを増し、もれなく絶頂する
「この世界の誰もが君を忘れ去っても ずいぶん老けたねって今日も隣で笑うから
怯えなくていいんだよ そのままの君でいいんだよ 増えた皺の数を隣で数えながら」
聴く肯定ペンギン……?もっと褒めて……