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ミクスチャーブログ

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究極ラブソングMr.Children『Documentary film』感想

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ミスチルの音楽における大きな武器のひとつって「壮大さ」だと思うんですけど、逆に言えばミスチル好きじゃない人ってそこの拒否反応がデカくて、理由聞くとけっこうな確率で「クドい」「長い」「説教臭い」って返されるんですよ。たしかに、バラードだと5分超えは当たり前、曲によっては「7分」とかPPAP10回聴けるし、人が人ならシコって寝れるくらいの長尺を余裕で使ってきますし、アレンジも壮大、歌詞も、「みんなの代弁者」「みんなの理解者」みたいな壮大なメッセージソングが「代表曲」として数えられたりするじゃないですか。

実際そう言う人の気持ちもわかるんですけど、ただ、たぶんミスチル、桜井和寿って自分が代弁者、理解者になってるつもりさらさらないと思う。桜井さんのヤバさって

「自分の性癖がたまたま100万人に刺さってしまう」

ってところなんですよ。他人の気持ち汲み取って「これが共感生むだろ」「これが売れるだろ」って曲作ってたらあんな歌詞絶対書けない。だって230万売れた曲の歌詞が「君が僕を疑っているなら この喉を切ってくれてやる」それを最終的に「誰だってそうなんだ」って。怖すぎるだろ。でも、そんな感性が激尖りの性癖吐露に「いや…そうかもな…」って勝手に代弁してもらってる気になってる人間がたまたま230万人いたってだけの話。

 

そして俺はそんな桜井和寿の書く「ラブソング」が世界で一番好きで、爽やかに見えて一枚皮を剥げばねちっこくて独占欲強めなエゴ丸出し恋愛観を神が与えし鬼の語彙力で表現されると気絶しそうになるんですけど、さっきも言ったように、ミスチルの曲って綺麗で大衆的なみんなの代弁者メッセージソングの皮を被った「最悪この世界には君と僕さえいればいい」っていう超内省的な、個と個、君と僕の関係性を歌ってる曲がメチャクチャ多い。

『Documentary film』も「超狭いところ」歌ってるラブソングで、特に2番の

「ある時は悲しみが多くのものを奪い去っても 次のシーンを笑って迎えるための演出だって思えばいい」

とかキングオブエゴここに極まれり、僕と君が幸せに生きるためなら他の全ての終わりを「演出」だって割り切ることも厭わないみたいなの、本当にゾクゾクしてくる。あくまでストーリーテリングで「君と僕の話」に留めてるからこそ、大衆的なメッセージが込められてても冒頭に言ったようなクドさも説教臭さも一切ない。桜井和寿としての桜井和寿の歌だからこそ桜井和寿という人間に愛されてるような錯覚が起こり「桜井和寿の書く君=俺」になってその重たすぎる愛に飲み込まれ、音楽で首絞めてほしくなる。 

 

しかも、曲時間もバラードにも関わらず、4分半の超絶ソリッドで、とにかくメロからサビまでの展開が異常に速い。Bメロぶった切ってAメロ→Aメロでいきなりサビ行くんですけど、ワインドアップで大きく振りかぶって行きますよ〜今から速い球行きますよ〜〜ズドン!じゃなくて、セットポジション構えたと思ったらほぼノーモーションでいきなりズドン!て剛速球放ってくる。イントロも間奏も最低限、Cメロすらない、いつもはもっと変化を加えて溜め作るようなところを削って削って、曲のキレを極限まで上げてる。メロディ自体はゆっくりなのに爽快感すらあって無限に聴き続けられるっていう意味のわからないことになってる。完全に永久機関。

アレンジはクラシックかってくらいにストリングスを強めて「壮大さ」をバッキバキに効かせてるのに、他のサウンドにメリハリがあってギターのアルペジオも、ベースの異次元的浮遊感も、後半に行くにつれどんどん遊び入ってサビで爆発するドラマも、重たくならないギリギリのラインを攻めてて音的にヨダレ出るほど面白い。踊れる。もはやバラードじゃねぇ。

 

誰もが思う「Mr.Children」のド真ん中を体現してドームだろうがスタジアムだろうが余裕で鳴らせるようなスケール感と、『くるみ』のMVよろしく、ちっちゃい公民館で一人ひとりに向けるような身近さを両立させてる。このバランス感覚マジでバケモン。Mr.Children is 1,000,000 song monsters.

トゥモネバ、Sign、HERO、HANABI他シングル曲とHeavenly kiss、Another Story、CANDY他アルバムカップリング曲のいいとこ取り、飲めるカツカレー、終わるまでくれ……

 

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