「あのドラマが20年の時を超えリメイク!」
「リメイク」の4文字が出るたび溜め息が止まらねぇ。未体験の怒りで勘違いじゃなく口からウンチ出そうになる。占い、呪い、神、幽霊、宇宙人、そんな不確定なものよりリメイクのほうがよっぽど怖ぇ。クオリティが高かろうが低かろうがどうでもいい。決まった瞬間、作品への愛がすり減る実感、思い出のケツ毛むしり取られ不快感。
例えば2012年放送ドラマ『GTO』のリメイク。どこをどうとか言うレベルですらねぇ。一言で言えば「無様な蜃気楼」。脚本、演出、配役、BGM、主題歌、なにもかもが「最悪」。実際AKIRAはじめ、出演している役者にはなんの罪悪もないと思うが、マジで一切合切諦めて舌切ってほしかった。役者が頑張れば頑張るほど酷くなる悪循環の無限ループ。
反町GTOが逆にあえて原作から遠ざけ、当時の流行りだったトレンディドラマの要素もふんだんに盛り込むことで成功を収めたのに対して、リメイクは無駄に原作に近づけようとしてるのが逆にめちゃくちゃ無理。じゃあ漫画でいい。悪夢の現実化とはこういうことか、脳の血管が爆ぜて三日三晩寝込んだ。
オリジナルでそのイメージが付いていた配役が別の役者によって上書きされるのが本当に耐えられねぇ。俺の絶対的な愛を1ミリも揺らがせたくねぇ。周りは「じゃあ観なければいいだけじゃんバカなの?」と簡単に言ってくれるが、悪りぃなそういう問題じゃねぇんだ。椎名林檎も言ってたんだ「冷めてしまっちゃえばそれすら嘘になる」。
「リメイクが一作目」勘違いする人間が出てくると想像するだけで心のギプスはボロボロ、俺の絶対が嘘になってクソになる。名前だけ借りた別作品、この世に存在しているというだけで逆「i 罠 B wiθ U」
本気で危なかったのが、俺が生涯で最も好きなドラマと言っても過言じゃねぇ『古畑任三郎』の古畑役を阿部寛、今泉役を大泉洋でリメイクのネット記事で血糖値爆上がり、悪あがきでフジテレビへ突撃しようか本気で迷った。が、いつまで経っても続報は出ず、結局は年中無休のフェイクニュース、多くの犠牲が救われたケース。
アニメやゲームのリメイクですら映像が綺麗になることの喜びと、馴染みの声優や設定が変わることへの悲しみに、反比例の感情は半々のロールパンナちゃん。「リメイク」は長所と短所が諸刃の剣。
その想いが一気に爆発、2019年放送『白い巨塔』。俺は唐沢寿明、江口洋介が演じたオリジナル白い巨塔が親よりも愛しい虚構。当然リメイク認める気はねぇ。ただ取り乱す。
だが岡田准一、松山ケンイチ、実力も華も兼ね備えた男達が財前五郎と里見修司、期待値は高い。この2人ならもしかして、凝り固まりすぎて腐りかけ、俺の固定観念覆して
「…リメイク…悪くねぇじゃん…?キュン…」
そう思わせてくれるんじゃねぇかって…。
期待は見事に裏切られ、キャストがどうこうの話じゃねぇ、準備段階、スタートラインの時点で終わってたぜ。すぐに後悔。まるでストレッチで肉離れ。いやスタートラインどころか競技場にすら来てねぇ有様。てゆうか陸上部ですらねぇ第三者。
20話超える長編ドラマ、たった「5回」でやろうとするオーバーラン、巨塔どころか砂の城。詰め込みすぎて逆にペラペラ。描くべきとこ描かれず、描かなくていいとこ無駄に描く、俺はイライラでビッグバン。
このドラマ、大学病院を舞台に権力闘争と医療のはざま、揺れ動く違う立場、その対立描きながら、腐りゆく医学界の闇、「民を救う」とはなに?改めて問う問題作。だからこそ本来、財前たちの細かい心情、深く濃く描く必要がある、わかるかよ?それが最善。
だが5回じゃそれが1/3も伝わらねぇ、生まれる誤解、巨塔は崩壊、ワースト1位。周りは空回り。俺は怒りの百姓一揆。なにも言えねぇ純情な感情シャムシェイドまるで悪天候で制御不能。わかってんのか?情け容赦ねぇ亡者共の試合巧者、オリジナルがゴミになる、リメイクされて神経痛、俺の心はもう死んでいる、この状況まさに異常、愛情ゼロのバッドエンド、アーーイ!!?!??!
…と、ラップを交えて友達に力説した。そしたら、
「まぁ…長々ありがとう。でも…そもそも唐沢版もリメイクだけどな…」
「はぁ?なに言ってんのお前…?はぁ?とうとう頭おかしくなっ、え?は?なに?え?」
マジですいませんでした…今すぐ俺の脳みそリメイクしてほしい