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ミクスチャーブログ

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「あざとカラオケ」のおかげでアンジュルムとエビ中に溺れかけてる

テレビ番組『あざとくて何が悪いの?』の企画「あざとカラオケ」が素晴らしすぎるおかげでアンジュルムと私立恵比寿中学に溺れかけてる。制作陣に対して俺の紫綬褒章を授与したい。本当におめでとうございます。

正直、なぜこれが世に放たれているにも関わらずオリンピックでこの「あざとカラオケ」が正式競技になっていないのか理解に苦しむ。世界がやらねぇなら俺が開催する。「あざとオリンピック」をここに開幕します。

 

「あざとカラオケ」は「気になっている人との初めてのカラオケ」というシチュエーションにおいて選曲、歌い方、仕草を駆使して最強のあざとさを競う企画なんですが、『あざとくて何が悪いの?』の凄さは揶揄や皮肉で使われがちな「あざとい」をプラスの意味で使っていること、これにつきる。

好きな人にもっと好きになってほしい、そのためには手段を選ばず相手を落とすために全精力を注ぐ。「あざとい」を使うのはなにも恋愛だけの話じゃねぇ、勘違いしてる人間も多いみたいだが、あざとさとはテクニックではなく「生き様」。「誰かに好かれたい」と思った時、そこにその人間の人生すべてが出てそれがあざとさになる。

あざといを極めようとする人間はみな、ベジータも土下座するレベルの「戦闘民族」。そしてこの地球においてあざとくなれない人間は圧倒的モブ、ヤムチャにすらなれない村人A、それが俺というわけだ。「あざとカラオケ」とは一言で言えば「ゼウスの裁き」。俺は神々の審判に耐えさらなるあざといで返すことができるか、それとも彼女たちのあざといにただ無様にヨダレをたらしながら死ぬか、その勝負をしてる。ワイヤレスの時代なんだよ人間の感情もな。

 

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俺をそんな「あざとさのブラックホール」に吸いこんだのは他でもない『LOVE涙色』を歌ったアンジュルム上國料萌衣。昨年末に書いた「2020年の年間ベストソングを決めよう」の記事で

一声目から耳が目が焼け死ぬ。声、表情、目線、仕草、髪型、顔、全てが「優勝」した。目を耳をスルーして脳を直接攻撃してくる破壊力と破壊した瞬間に全てが治癒する。歌の上手さと可愛さのバランスが完璧に釣り合い感情のカタストロフィによって地球が爆発。全てが上國料萌衣になる。この日を境に世界は「上國料萌衣がLOVE涙色を歌う以前と以後」に分けられたのだ。圧倒的な歌唱力を持ちながらも100上手さに振り切らず「少し恥ずかしそうに歌う」ことで「あざとさ」と「切なさ」相反すべき2つがひとつになっていた。「気になっている男との初めてのカラオケ」のシチュエーションにおいてこれ以上のものはこの世に存在しない。こんなん歌われたら一瞬で「専用ATM」になる。特筆すべきはなんと言っても歌詞に対しての感情の乗せ方。これはもはや「感情ビッグバン」と言っていい。自分の自信の無さを憂うマイナスの感情を歌う歌詞では少し切なく(「くやしいわ」で頭をトントンとやるんですがこれで遠くの国の戦争が終わりました)、それでも好きだというトキメキを歌う歌詞では嬉しそうに(「LOVE」で俺のほうをチラッと見てくるんですが…ったく………しょーがねぇなー……)、この感情の切り替え「エモーショナル・スイッチ」によって世界から全ての争いの火種が消える。「水」だ彼女の歌声は聖水だったのだ。極めつけは声の「抜け感」、ただの女神。例えばサビ「涙色」の「い〜…」で少しタメ、「ろ…」で吐息混じりに抜く。この時の声の「揺らぎ」によって脳が交感神経が異常をきたし動悸が止まらなくなり「上國料萌衣を見る」以外の全機能が停止する。上國料萌衣を、アンジュルムという存在を知らなかった過去の自分の首を今すぐ跳ね飛ばしたいそれほどの衝撃。今はただ上國料萌衣を育んだ全生物全宇宙に感謝したいありがとうございました

と思いの丈の一部をぶちまけたんですが、まだまだ全然足りませんわ。今すぐに国は最強のシェルターを作り上國料萌衣をあらゆる悲しみから守る義務がある。生まれた奇跡、出会えた軌跡、その輝きまるで宝石、俺の口に溜まりまくって歯医者にガチギレされたのは歯石。そんなリリックを一瞬で思いつくほど彼女のあざとさは俺を狂わせてしまった。聴いたあとに見える景色の彩度がまるで違う。

そして選曲の妙。今すぐ選曲したディレクターと飲みに行きたい、確実に2日後の昼まで盛り上がる。9次会まで行く。21歳のハロプロの後輩が俺たちアラサー世代の青春の権化・松浦亜弥の曲を歌う、これを企画したアナタは俺の生涯で一番のダチになった。落ち着いたら一杯奢らせてほしい。

それを歌う上國料萌衣の透き通る声はもはや「ピースフル」。命をすくう(「救う」と「掬う」のダブルミーニング)歌声と言っていい。草が、土が、風が、星が喜んでるのがわかる。カラオケ採点では決して測れねえ、俺の心の中のDAMが満点。

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だが、それ以上の衝撃。上國料萌衣の本体『アンジュルム』は俺が思っていた女性アイドル層とまったく別次元のものでした。「ハイブリッド」…それが最初に俺がアンジュルムに抱いた感情。

「かわいくあるべき」というステレオタイプのアイドルの良さをブラッシュアップしつつ「カッコイイクールなアイドル」の側面も存分に押し出していく水陸両用アイドル。カワイイとカッコイイ、どっちがどうとかじゃねえアンジュルムは「両方」極めようとしてる。

『愛されルート A or B?』のTwitter投票、MVのバージョン違い「カッコイイMV」と「カワイイMV」のどちらが見たい?と問いかけ「カッコイイMV」が51.2%、「カワイイMV」が48.8%、ほぼ半々の結果だったのがなによりの証拠。こんな綺麗に分かれるグループは他にはねえ…アンジュルムには俺たちが欲する感情の全てがあった。

ちなみに俺は『赤いイヤホン』『SHAKA SHAKA TO LOVE』『新・日本のすすめ!』『全然起き上がれないSUNDAY』が特に好きです。あらゆる式典で流したい。

 

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そしてもうひとり、今年の4月に登場した守るべき宝がいる、私立恵比寿中学の柏木ひなた。エビ中に関しては椎名林檎『自由へ道連れ』のカバーがあまりにも素晴らしく、沼に顔面から突っ込むのも「もはや時間の問題」だったんだがこの一撃で地の底までドボンした。脳みそからつま先まで綺麗に真っ二つにされてしまった。

彼女が歌った曲はその最高カバーを受けてなのか椎名林檎『幸福論』。椎名林檎の曲はまさに「諸刃の剣」で「あざとい」を目的としたとき、ここまで使い手を選ぶ武器は他に存在しない。椎名林檎という存在の個性があまりにも唯一無二なゆえ少しでも油断すると「椎名林檎歌唱」に飲み込まれてしまう。言ってみればある意味最も「あざとさ」からはかけ離れた曲。

しかし、柏木ひなたはもうひとつを叩き出した。椎名林檎が持つ闇の部分をいっさい排除した圧倒的「光」。少し照れながら、しかしとても楽しそうに、純粋に曲の良さと歌詞の良さを吸収し真っ直ぐに表現する。観るだけで体内環境が改善した。恥ずかしそうに立ち上がった瞬間、全ての悲しみがこの世から消え去った。幸福論とは柏木ひなたのことでした。間奏部分の手の動きの愛おしさに俺はいくら振り込めばいい?

そんなフニャフニャした動きからとんでもねぇ骨太で正統派の歌唱力、このアンバランスさこそが全ての「あざとい」を演出する。「私上手いでしょ?」の鼻につく上手さじゃない、ごく自然にサラリと歌うからこそ「なんだ…このとんでもなくカワイイ生き物は…?」からの「なんだ…このとんでもなく歌が上手い生き物は…?」のギャップが生まれる。そして銀河一の笑顔、この映像を見ている「俺にのみ」向けられた笑顔。この笑顔を曇らせる全ての雨を俺が止めたい。天候を左右する歌声。生きる太陽。見るタイプの光合成。柏木ひなたこそ真の「天気の子」、わかったか新海?

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柏木ひなたに限らずエビ中全員に言えること、それは「うめぇ…」と「かわいい…」の完璧なる共存。かわいい女の子が順番にとんでもねぇ歌唱力でぶん殴ってくる。しかも曲によって「上手さ:100」にも「かわいさ:100」にも振れる。50/50にもできる変幻自在の「あざとさ」。すなわちどんな曲だろうがエビ中の色に染められる。

『仮契約のシンデレラ』みたいなザ・アイドルソングも似合うし、『なないろ』のような爽やか切なポップも似合うし、『愛のレンタル』のような下北の空気漂う泥臭いラブソングも似合う。エビ中とは「雲」だ、流れる風に乗って自由に形を変える雲なのかもしれない。

ちなみにこの『23回目のサマーナイト』は「上手さ:100/かわいさ:2兆」の曲。「メンバー全員が俺のこと大大大大大好きになる」イカレたMV、これは全アイドルファンに対するご褒美および宣戦布告と言っていい。こんなん見せられてどうにかならない人間がこの世に存在するのか?

 

「あざとい」の前には全ての人間は無力。俺たちはただ彼女たちの魅力に焼かれて骨になるだけ。演技でも計算でもどうでもいい、俺らにできるのはただ無心で金振り込むだけ。あざとい女子はそれだけで全員あざとオリンピック金メダルだよ…。あざとオリンピックってなに?