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ミクスチャーブログ

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恋愛モノにおける「当て馬女」の扱いの雑さマジでどうにかしろ

相変わらず恋愛ドラマや恋愛漫画における二番手三番手の「当て馬キャラ」に執着する人生を送っているんですが、ひとつだけ納得いかないことがあります。

それが「当て馬女の扱いの雑さ」。彼女たちの不憫さを考えるだけで頭が破裂して死ぬ。本当にいい加減にしてほしい。

 

そもそも、このブログ内では「当て馬」を

ヒーローとヒロインの世界をより輝かせるための「舞台装置」としての役割だけを与えられた悲しきピエロ

と定義づけてきました。

優しく包容力があり、ヒロインが落ち込んだときは誰よりも早く気が付き陰で支える良き理解者にも関わらず相手の男に対しては堂々と宣戦布告をして「恋のライバル」の一面も見せつつ、同じ男として相手を認める器のデカさも兼ね備えている。

最終的には二人の幸せを願い、自ら手を引く。「おまえは道徳の教科書から生まれてきたんか?」と思うほどキレイな馬。ヒロインには愛されないが、物語に愛され、ユーザーに愛しされし天使。

が…それはあくまで「当て馬男」。「当て馬女」は正直言ってそれとはまったく真逆。当て馬女とはつまり

ヒーローとヒロインの世界を曇らせ足を引っ張る「生きる屍」。己の株を下げ、相手の株をその倍下げる恋愛ゾンビ

男の前に突然現れた純粋無垢なヒロインに対して敵意をむき出しにし、相手を認めるどころか二人の足を引っ張り、物語のテンポを悪くする。ヒーローから愛されず、ユーザーからも愛されない堕天使、それが当て馬女の扱い。なんだこの差は…

 

物語の序盤で二人の心の距離が縮まりかけているところに

「私のほうが彼のこと好きなのに…あの女なんなの…?」

とイラ立ち、ヒロインに嫌がらせをし、ヒーローに嘘をつき、二人の仲をどうにか引き裂こうする。が…その妨害は完全に裏目に出て、二人の関係は揺らぐどころか最終的には「やっぱり俺(私)…アイツのことが好きだ…」と愛を再確認させてしまう。

「当て馬男」は物語が進むごとにユーザーからの好感度が天空を突き抜けて月に刺さるくらい上がるのに対し、「当て馬女」は喋れば喋るほど、動けば動くほどこちら側の感情が離れていく。

それどころか、その強すぎる想いを歪んだ形でぶつけるがあまり、それを受け止めきれずグダグダな対応ばかりしているヒーロー、そして何も知らねえアホほど純粋無垢なヒロインの好感度までも一緒に下げていく。

死なばもろとも。相手の幸せを願うどころか「私が地獄に落ちるのなら…お前らも一緒に落ちろ…」と言わんばかりの屍人。リアル『蜘蛛の糸』。それが「当て馬女」なのです。もううんざりだよ。

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『必修すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む』より

 

俺はすべての当て馬には絶対に「幸せ」になってほしいんです…例えば『君に届け』の胡桃沢梅、通称「くるみ」。紆余曲折を経て「主人公・爽子の一番の親友」という最高のポジションを確立し、続編『運命の人』ではまさかの主人公となり、椎名軽穂作品『CRAZY FOR YOU』における圧倒的人気キャラ・赤星栄治とイイ感じになるという、まさに当て馬界にとっての「正月に見る夢」。すべての当て馬女は全員くるみになれ…それだけを願って生きてる。

 

だからこそ、俺はこの「当て馬女はヒロインの邪魔をする」流れが定番化していることにハラワタが煮えくり返り、緑色のゲロを吐く。「ヒロインの純粋さを際立たせるため」「二人の想いを気づかせるため」とかいう安易な考えで「当て馬女」を嫉妬に狂わせ、したくもない嫌がらせをさせる脚本家のペンを一本残らずヘシ折ってやりてえ。そんな当て馬なら、なくていい。

 

「女の嫉妬は怖い…」

じゃないんだよ。貴様らはこういう女を「悪女」と簡単にカテゴライズするが、相手のことが好きすぎてどうしていいかわからなくなった娘に「悪」だと?言葉に気をつけろよ。いいか?恋愛に善悪なんて存在しないんだよ。全員がそれぞれの「正義」を掲げて「愛」を手に入れようとしてるんだよ。

当て馬女はな、「少しでも私のことを考えてくれた?」ただそれが知りたいだけ。

ひとつだけ思ったのは

あたしの事少しだけでも

好きだって愛しいなって思ってくれたかな?

aiko/二時頃

これだ。わかるか?

 

俺は必ず、生きとし生けるあらゆる当て馬たちをこの腐った「当て馬スパイラル」から救い出す…

そう、俺は「恋愛界の碇シンジ」になる。いやむしろ「庵野」になる。そして当て馬たちにこう言ってあげたい…

「さようなら…すべての当て馬ァンゲリオン」