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ミクスチャーブログ

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King Gnu常田大希は乙骨憂太と脳みそ繋いでるとしか思えない

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King Gnuってどっからどう見てもゴリゴリで、もし同じ学校にいても俺は超カッコいいヌー先輩のことずっと憧れてるのに、声かけられず遠くから見つめるだけ。もし声かけて「なんだテメェ?」って言われたら泣く。

なのに現実は違った。ヌー先輩の音楽は生きとし生けるもの全てに対して「開かれてた」。「分かる奴だけ黙って俺についてこい」みたいな両津勘吉スタンスかと思いきや、その中身は俺のような「アホにも分かる凄さのド連発」。無限刃ギター常田大希、ド色気ベース新井和輝、千手観音ドラム勢喜遊…全員異常なまでに「音楽が上手すぎる」。分かりづらいと分かりやすいが仲良く手ぇ繋いで共存してる。

その分かりやすさを担ってる一番デカイのが聖闘士ボイス「井口理」だと思うんですが、常田大希はそこを100いや1億分かってやってる。どれだけ音楽的にムズくてテクニカルなことやろうが井口理の声が1秒でも当たるだけで、それは「100万人が分かる凄いこと」として世に放たれる。圧倒的な「主人公声」。そして常田大希は対極の「ラスボス声」、そんな2人が手を組んでる。もう手ェつけられないんですよ。スラム街にある教会かよ。

King Gnuの曲はあまりにも洗練されていて、実際タイアップ先に全く触れなくても「曲単体」として引き込まれるんですけど、特にアニメとの親和性、マジでどういうことなんですかね?最新アー写の第一印象「我!強っ!」と結びつかないんですけど?タイアップ先との寄り添い方が長年連れ添った老夫婦のそれ。完全にニコイチ。

物語の底にある感情を掬い上げて言葉を組み立てる鬼。『BANANA FISH』の『Prayer X』にしても「溢れ出した涙のように一時の煌めく命ならば 出会いと別れを別れを繰り返す日々の中で」にしても出だしから「アッシュの圧縮」ですし、『王様ランキング』の『BOY』の「その涙が汗が滲んだ誰とも違う美しさで笑っておくれよ 息を切らした君は誰より素敵さ」こんなもん完全にカゲ目線のボッジじゃないですか。タイアップ先に対する読解力というか、ストーリーやキャラクターの心情と自分の人生をリンクさせるのがべらぼうに上手いんですよ。

King Gnu、Srv.Vinciを組んだ時の想い、もっと言えば初めて4人で音を鳴らした時の初期衝動みたいなものと、ボッジがカゲと出会って少しずつ成長していく姿を自分と重ねていたのかもしれないし、『一途』『逆夢』にしてもそう。ここまで『呪術廻戦0』って作品に、いや乙骨憂太の心情にフォーカスした曲を書くとか、もはや乙骨本人にとっては乙骨憂太どころか恥骨憂太だろ。「なんでここまで僕のこと分かるの…?」って顔真っ赤にしてるわ。

「最期にもう一度力を貸して その後はもう何もいらないよ 僕の未来も心も体も あなたにあげるよ 全部全部」

なんざもはや「モロ」としか言いようがないんですけど、ここだけじゃなく曲全体から感じる「俺がお前でお前が俺で」感。確実に乙骨先輩の脳みそと常田先輩の脳みそ電極で繋いで共有してる。

ただ、呪術廻戦0もKing Gnuも両方しゃぶりつくした上で『一途』と『逆夢』を聴くと、ただ作品に寄り添ってるだけじゃないことも伝わってくる。俺はどこか常田大希の「音楽」に対する想いにも聴こえた。自分の「人生」を一途に音にして言葉にする職業だから自分が良いと思える曲ができて満たされればそれでいい、映画のデカいテーマのひとつでもある「愛ほど歪んだ呪いはない」というのが、乙骨先輩の進んでいた道と常田大希の歩んでいる道に共通するものなんじゃないかと。

歌詞だけじゃなく音に関しても、乙骨先輩のネジ外れた部分と常田大希の常に超スピードで音楽作り続けてるKing Gnuの異常なオーバードライブ暴走車感がリンクしてる。単なる「主題歌」「イメソン」としての域はとうに超えてるし、むしろ呪術廻戦0とはKing Gnuのことなんじゃないかとすら思えてくる。

 

King Gnuは全部の曲を常田大希一人が作詞作曲してる故に、歌詞の作家性やメロディの癖がおもくそ出てて、過去の曲のフレーズやリフを「あえて」使いまわすことが多いんですけど、それって伝えたいことが「一貫」してるからだと思うんですよ。King Gnuの音楽のテーマはほぼ共通して「死者への弔いと生きている者の未来」、これを一曲だけじゃなくてKing Gnuというバンドそのもので表現してる。聴いてる側はKing Gnuの音楽を聴くたびにそこに「繋がり」を感じる。

そして『逆夢』は乙骨先輩と里香の純粋で歪、現実なのにどこか非現実、つまり「夢」のような関係性を喪失感になぞらえた鎮魂歌。これなんですよ。もう一度言います呪術廻戦0とはKing Gnu。

あとマジで怖いのが、2019年『Sympa』発売前に放送されてた『夢チカ18』って番組に井口理と新井和輝が出ていて、常田大希について

「ずっとポップスの名盤をひたすら聴く時期を設けてる。ミスチルのCDを買ったとかそういうのを聞いてましたし、メロディの変化というのは絶対的にあると思います。

でもそれだけでは面白くないってので、ミュージシャンシップというか、そこらへんはしっかり取っていかないと、King Gnuというものというかアイデンティティのひとつなのでそこはやっぱり大事にしていて。

でも、やっぱり入口としてほとんどの人がメロディがメインで入ってくるのでそこらへんは大希すごく意識して作ってきたなという感じはしますね」

って言ってたんですけど、この2年ずっと常田大希はこのデカいうねりを確実に「意識して生み出してる」。ということは逆を言えば、じゃあ今のKing Gnuの作る「大衆意識しないで作った曲」はどんなバケモンだよ…って思うと、興奮と恐怖でシッコ出そうです。まさか『泡』か?『泡』がそれなのか?あの曲を初めて聴いた時、あまりに意味が分からなさすぎて

「ごめんなさい…10年時間ください…」

と呟いたのを思い出した。

King Gnu理解するためだけに音大通いたい。ヌー先輩の音楽を俺は遠くからずっと見守っていたい、そう思った(King Gnu全員年下でした)