アンジュルムの一番好きなところは
「1ミリも俺のために歌ってない」
ところです。アンジュルムは、いつだって女子のために歌ってる。アンジュルムの曲はスネ毛もじゃもじゃの汚い男には向けられてない。
だがそれでいい、それがいい。マジで俺のことなど一生無視してくれてかまわない。俺はアンジュルムの視界に絶対に入らないくらい遠くからそっと見るだけでいい。美しい花の周りにハエは似合わない。もっと、もっと突き放してくれ…
アンジュルムの新曲『うわさのナルシー』は、そんな俺の歪んだ願いを叶える最高の曲でした。
ムーディな雰囲気のあるシティポップ調のイントロから放たれるのは、よくある恋愛歌ではなく、圧倒的な自己、いや女子肯定。
どこからどう見てもイイオンナ
お生憎様ね Boy
君の意見は 聞いてないの
最初の数行で心臓をブチ抜かれました。ここまで「テメェ(男)のことなんか見えてねえしテメェの言葉なんか届かねえんだよ」と言われる曲もないでしょう。
「どこからどう見てもイイオンナ」
MVで見せる川名凜の何者にも負けない自信に満ち溢れた表情、あまりの神々しさに地面に頭がめり込みました。もはや肯定を超えた皇帝、カイザーでした。自分が自分のことを「イイオンナ」と思えれば、それだけでいい。しょうもない他人の、俺の意見など、どうでもいいのです。
「お生憎様ね Boy 君の意見は聞いてない」
曲中で、唯一われわれ「男」に向けられた歌詞。「お生憎様ね Boy」で伊勢鈴蘭が「首を掻っ切るポーズ」をするんですが、つまり、これは俺達に「死ね」と言っているわけです。
「髪型前のほうが似合ってたよ?」「もっと明るい服着たら?」と、的はずれな戯言を垂れてる男どもはゴミのようにいるだろう。そんなやつらを見るたびに俺は涙が出るし、本当に申し訳なくなる。
俺はつねづね、彼女たちの邪魔だけにはならないように生きたいと思っているのですが、アホの罪はイコール同じ男である俺の罪でもある。アンジュルムはそんな俺たちに対し、明確に「Kill you」を突きつけてくれるのです。
It's a COOL or BOO
群がる リプライ
ごちゃごちゃ 五月蠅いHey
もう殺してくれ。
アンジュルムには自分の好きな服を着て、好きな髪型にして、好きな化粧をしてほしい。アンジュルムには何者にも媚びず、へりくだらず、風を切って道のド真ん中を歩いてほしい。いや、俺ごときが「ほしい」と願うまでもなく、アンジュルムは先頭に立って自分を貫き、輝いているが…
うわさのナルシー
誰がなんたってそう
I love (I love) myself (woo)
集まるジェラシー
宇宙でいちばん Happy (Happy)
ごめんねぇ
んも~ 比べてもキリがない
てか比べるもんじゃないじゃあ (じゃあ?) じゃあ (じゃあ?)
認めちゃいな
「ワタシ」という存在(モノ)自体
個別具体に愛したいさぁ (さぁ!) さぁ (さぁ!)
とびきり自惚れて Good
一般的な「かわいさ」「きれい」とは自分と社会をつなぐ接点だ。他人が言う「かわいい」「きれい」という言葉は、それが他己評価である以上、また他人によって簡単に否定されてしまう。
しかし、アンジュルムは徹底的に「私のかわいさ、美しさは私が一番よく分かっている」と歌う。清々しいまでの自己評価。そこに他人は存在しない。
そしてなにより、メンバー一人ひとりがそのスタンスを絶対に崩さない。他人が書いた曲を歌うアイドルだが、歌詞とパフォーマンスにいっさいの矛盾がない。それがアンジュルムなのだ…
先ほども言ったように俺はスネ毛もじゃもじゃの男で、アンジュルムは俺のために歌を歌ってはいませんが、アンジュルムを聴いていると汚い俺ですら
「あれ?腐りかけのゾンビみたいに血色悪いと思ってたけどよく見たら肌ツヤ良くね?」
「小学生が適当に書いたみたいななんの特徴もない顔だと思ってたけど年の割に若くね?」
と、信じられないくらいに自己肯定感が上がってしまうのです。
「イカロスの翼」というギリシャ神話をご存知でしょうか。イカロスは蝋で固めた翼で自由に空を飛んでいたのですが、太陽にたどり着けると自らを過信し、近づきすぎたせいでその翼を熱で溶かし墜落死しました。
アンジュルムを聴いているとき、俺はイカロスの気持ちになる。自分も太陽になれるような気がして怖くなる。
お願いします。俺が近づきすぎた時はドロドロに溶かしてください。