最近ネットフリックスでアニメの『小公女セーラ』を観た。
そこに描かれていたのは、涙なしには観られない感動的な心あたたまるエピソード、などではなく『地獄の沙汰も金次第』という人間社会においてもっともシンプルな一つの真理のみでした。
セーラはインドの大富豪を父に持つ生粋のお嬢様でありながらも、優しく強い心の持ち主で、貧乏、金持ちにかかわらず誰に対しても別け隔てなく接する女の子だった。そんなセーラは学院の人気者。しかしそのセーラの態度を面白くない、と感じていたのがそれまで学院のリーダー的存在であったラビニアや、学院長のミンチンだった。
そしてある日、セーラの父がインドで破産をし、熱病にかかり死んでしまったことで一転セーラはほぼ無一文に。それが引き金となり彼女を妬み、嫉んでいたラビニア、ミンチン、使用人たちから激しいイジメを受け、ホコリまみれの屋根裏部屋で暮らしながら無給で雑用に使われる日々を送ることに。
しかしセーラはそんなイジメに必死に堪え、お嬢様特有の可憐な立ち振舞い、言動で少しずつ仲間を増やしていく。
そんなセーラの態度がますます気に入らないミンチンやラビニアのセーラに対する嫌がらせはエスカレートしていく。ついには窃盗の疑いをかけられ、屋根裏部屋から馬小屋での生活を余儀なくされる。そしてラビニア達が起こした馬小屋の火事の犯人に仕立て上げられ、セーラは学院から追放されてしまう。行く宛もなく、寒空のなか生活のために街頭でマッチ売りを始めるセーラ。
だが、嫉妬や憎悪うずまくそんな生活も突然終わりを告げる。
終盤、セーラを探しているというセーラの父親の親友で世界有数のダイヤモンド鉱山の持ち主・クリスフォードが現れ(学院の隣に住んでいたのにずっと気が付かなかった)、セーラに財産の全てを譲り渡すと言う。
その話を聞き、今まで人間以下の仕打ちをセーラにしてきたミンチンは、自分のしたことの愚かさ(セーラにもっと優しくしておけば学院に寄付してもらえたかもしれないという浅はかさ)に泣き崩れる。
しかし後日、セーラは今までの仕打ちなどなかったかのように学院に10万ポンド(日本円で10億)の寄付をし、ミンチンやラビニアを笑顔で許す。
するとミンチンをはじめ、散々セーラをこき下ろし、嫌がらせをしてきた使用人やラビニアの腰巾着の女子までもが「セーラさん!セーラさん!」とセーラにすり寄ってきやがった。お、お前らよくもそんな真似できたな。今までセーラにネズミと同じような生活をさせておいて金持った途端これか。
「マネーに目がくらみ汚え真似 そんなお前らに明日は来ねえ」と画面に向かって思わず韻を踏んでしまうほど胸糞が悪かった。
こんなシンプルな手のひら返しを子供が観るアニメで放送していいのか。これを観た子供が「貧乏人が酷い仕打ちを受けるのは当然だが、金持ちには良い顔をしなさい」という間違った考えを持ってしまう危険性はないのだろうか。
そんな小公女セーラを観た後日、従兄弟の子供に会い1回目のときは俺のことを「おじさん」呼ばわりしていたはずだったが、2回目こづかいを渡したら「お兄ちゃんお兄ちゃん」と懐いてきたので、俺の中ではそいつをミンチンと呼んでる。