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映画『クレヨンしんちゃん 爆睡! ユメミーワールド大突撃』感想。2010年代クレヨンしんちゃん映画の最高傑作

映画『クレヨンしんちゃん 爆睡! ユメミーワールド大突撃』感想。

前段として、私は小さい頃からクレヨンしんちゃんの大ファンで、特に映画作品はすべて欠かさず観ているのだが、正直2004年に公開された『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 夕陽のカスカベボーイズ』以降の劇場版はこれまで自分が思っていた「クレヨンしんちゃん像」とはかけ離れたものだった。(これは映画のタイトル冠に『嵐を呼ぶ』がつかなくなったことから制作サイド自身も過去の劇場版と差別化を図っているのがわかる)

とは言っても、時代のニーズや、視聴者層が移り変わっている21世紀2017年において「昔のクレヨンしんちゃん」をやるということがどういうことなのか、を理解していないわけではない。だからこそ、妥協点、いや「新旧のクレヨンしんちゃんファン」のどちらもがある程度納得の行く着地点のようなものが必要だった。前ニ作『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』『オラの引越し物語~サボテン大襲撃~』はその実験的作品だったと言っていい。ロボとーちゃんは『嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』や『嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』を踏襲したようないわゆる「大人も笑って泣けるクレヨンしんちゃん」、サボテン大襲撃は『ヘンダーランドの大冒険』や『暗黒タマタマ大追跡』のような「ひたすらバカバカしいクレヨンしんちゃん」の雰囲気が感じられた。しかし、作者・臼井儀人氏の死後はどうしてもストーリー展開の稚拙さや旧クレヨンしんちゃんの真骨頂である世相を反映したブラックジョークや下ネタ混じりのジョークもいまいちキレがなく、評価は二分された。

それでも昔のクレヨンしんちゃんを知らない、今を生きる子供たちにとってはこの二作は「良いアニメ映画」として評価を得ていたと記憶している。われわれ大人の求めているクレヨンしんちゃんと、子供たちの求めるクレヨンしんちゃんは違う、昔には昔の、今には今のクレヨンしんちゃんの良さがある、それを大人が揚げ足を取って石を投げるというのはあまりにも野暮なことだ、それはわかっている。だが、それがいかに滑稽なことと知りつつも以前のような心から「面白かった!」と言えるクレヨンしんちゃんの映画を望んでいるのはいけないことだろうか。『クレヨンしんちゃん』という作品のメインターゲットから私は外れてしまったのか、そんなことさえ思った。

 

そこで今回の『クレヨンしんちゃん 爆睡! ユメミーワールド大突撃』。一言で言えば、「大人にこそ観てほしい最高の作品」だった。「笑って泣ける」、これぞクレヨンしんちゃん映画の原点を見た稀代の傑作。

今作は脚本を現役のお笑い芸人でもあり、映画『青天の霹靂』などの名作を生み出している劇団ひとり氏に一任することでギャグのキレ、確かなストーリーテーリングを取り戻した。

さすがに旧作然とした外角ギリギリを攻めるブラックジョークは少ないが、大和田獏をはじめとした子供がキョトンとするようなボケの斜め上の発想は臼井儀人リスペクトを確かに感じられた。また、ゲスト声優をつとめた安田顕が本当に素晴らしい。「親」として子供を想うがゆえに凶行を繰り返す夢彦の熱がこもった演技は善人から極悪人まで様々な役をこなしてきた彼だからこそできる「怪演」と呼ぶにふさわしいものだった。

ある日、巨大な魚に呑み込まれるを見たのをきっかけに春日部市民たちは夢の中で巨大魚の体内にある不思議な世界に迷い込む。そこではやりたい事が自由にできるということで市民たちは自分の夢に浸っていくが、その中で大人たちは楽しい夢を奪われて魚の体内に放り出されてしまう。魚の体外は地獄のような世界で次々と現れる恐ろしい出来事=悪夢にうなされた大人たちは次第に元気を無くし、日が経つにつれて子供までもが夢を奪われて悪夢ばかり見るようになってしまう。

それに気づいた野原しんのすけカスカベ防衛隊は原因を探るため、悪夢のせいで元気を無くした佐藤マサオの代役として春日部に引っ越してきた少女・貫庭玉サキを仲間に加えて夢の中に入り、その原因がサキの父親・貫庭玉夢彦であることを突き止める。夢彦は悪夢しか見られない貫庭玉サキのために人々の夢を操っては楽しい夢を奪い取り、そのパワーで貫庭玉サキの悪夢を中和していたのだ。

風間トオル、桜田ネネ、ボーちゃんも悪夢を見る様になる中、真相を知ったしんのすけはサキの幸せのためにサキの悪夢を獏に食べさせるという作戦を考え、野原一家は揃って夢の中へ入っていく。

 wikipediaより

あらすじを読んでもらうとわかるように、この映画にはわかりやすい「悪人」が存在しない。たしかにサキを救うためとはいえ、大勢の人間を集団催眠にかけた父親の夢彦の行為は決して許されることではないが映画内でも「こうするしかなかった」「他にあの娘を救える方法があるのか!」というセリフがあるように、一貫して私利私欲のためではなく「自分の命より大切な娘を守りたい」「辛い思いをさせたくない」という痛いほどまっすぐな親心からくるものだった。そして、サキが悪夢しか見ることのできない体になってしまった原因は5歳の子供にはとても耐えられない経験からくるものなのだが、それはこれまでのクレヨンしんちゃんの中でも最もヘビーな理由だった。

序盤はヒロイン・サキとしんのすけ達かすかべ防衛隊との絆が深まっていく様子が描かれる。これまでの作品のなかでも最も陰のあるヒロインのサキは頑なにしんのすけ達と馴れ合うことを拒む。それどころかサキが原因で命の危険にまで晒されてしまう。それでも友達を信じて助けたい、そんなしんのすけ達の優しさによって少しずつサキは救われ、変わっていく。今作のキーパーソンとも言えるのが、かすかべ防衛隊の紅一点・ネネだ。いつもは高飛車でみんなを振り回す彼女が、(おそらく)はじめてできた女友達のために立ち上がる姿は胸を打たれた。 ※酢乙女あいは友達ではなく「ライバル」という位置づけだと思っている

中盤〜終盤にかけてはその悪夢の元凶がしんのすけたちを容赦なく襲うのだが、これまでのポップでファンシーな雰囲気とは一線を画した、まるでホラー映画のようなショッキングなシーンが続く。「映画クレヨンしんちゃん」と言えば『暗黒タマタマ〜』に代表されるように敵キャラクターのどこか不気味なキャラクターデザインがその魅力のひとつなのだが、ここまでストレートに「恐怖」というものを表現した作品は近年では他に類を見ない。(『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ! 』の洗脳シーンにも通ずるものがある)

そしてサキがその恐怖に打ち勝つ術、ネタバレになってしまうのでここでは多くは語らないが、作品のまとめ方としてはクレヨンしんちゃん映画史上最も美しいものだと感じた。終盤からラストシーンにかけては、クレヨンしんちゃんの真骨頂とも言える「静と動、ギャグと感動の絶妙なバランス」が本当に素晴らしかった。まさに「新旧クレヨンしんちゃんの融合」と言うべき完璧なラストだった。

今作のテーマはズバリ「トラウマからの脱却」そして「親と子」。クレヨンしんちゃんの映画というのは不思議なもので、子供の頃は単なるギャグアニメという認識だったのが、大人になってから改めて作品を見返すとそこにはとても深いテーマがあり、それは現代の様々な問題に通じるものがあるということだ。今作もおそらく年を重ねれば重ねるほど、守るべきものが増えれば増えるほど心に突き刺さる作品になっている。

余談だが、サキの声優を務めているのが、90年代にNHKで放送されていたアメリカンコメディドラマ『フルハウス』の三女・ミシェルの声でもある川田妙子さんなのだ。われわれをアラサーを狙い撃ちするキャスティング、天晴れとしか言いようがない。『フルハウス』といえば、20年前、すべての小学生が夕方6時半にTVにかじりついて観ていた伝説の番組でクレヨンしんちゃんと共にわれわれの人格形成に大きな影響を与えた作品だと言える。この2作品から私達は多くのものを学んだ。家族の在り方、笑いの取り方、人を愛するということ。そして20年の時を経て、『クレヨンしんちゃん』と『フルハウス』のクロスオーバーともいえるコラボレーションがユメミーワールドという物語で実現したこと、その意味はわれわれにとって本当にかけがえない宝物になった。

 

最後に、今作の主題歌はケツメイシが担当している。元々はゲスの極み乙女が主題歌候補だったのだが、ある理由によって降板せざるを得ない状況になってしまった。その理由はある意味ではとても「クレヨンしんちゃん的」な理由なのだが、それはわれわれ大人の夢の中だけに置いておくとしよう。未来の子供たちのために。

 

 

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