謎のスパイス「ほりにし」がうますぎる。
知り合いのオッサンに「なんにかけてもうまいからダマされたと思って買ってみろ」と言われ、いくらか確認したら1瓶800円超えてて
「なんだこいつ…?ただの粉にそんな金出すわけねえだろアホか800円あったらモス食うわモス。スパイス信仰キモっ…」
と軽蔑してたんですが、あまりにも「ほりにしほりにし…」しつこいので一度買って試してみたところ、オッサンが住んでる家の方角に土下座するほどの衝撃。もうオッサンには足向けて寝れねえ。ごめんね…いつもありがとね…おっさんずラブ…♡
それからというもの、生活の中心が「ほりにし」になってしまいました。ほりにしをかける前の俺にはもう戻れない。森羅万象ありとあらゆる食材、料理にほりにしをかけて食ってみたがマジで外れがない。
いや、なににかけても外れがないというか、ほりにしをかけた時点でこの世の味が全て「ほりにしになる」と言ったほうが正しいかもしれません。
裏面の原材料名をご覧いただきたい。
原材料名: 食塩、ガーリック、黒コショウ、レッドベルペッパー、粉末醤油、ミルポアパウダー、コリアンダー、植物油脂、チキン調味料、パセリ、パプリカ、オニオン、赤唐辛子、陳皮、ジンジャー、バジル、オレガノ、マジョラム、ローズマリー、ローレル、セロリシード/調味料(アミノ酸等)、リン酸Ca、(原材料の一部に小麦、大豆、豚肉を含む)…
えー、つまり…なんですか…?
違法以外の粉全部入ってるんじゃねぇかと思うほどの圧倒的な情報量にもかかわらず、なにひとつ伝わってこない。1ミリも味がイメージできない。
だが、これがまぎれもない事実。最初は、なにが「アウトドアスパイス ほりにし」だよ。誰だよ。お前の自己紹介はどうでもいいから味の説明をちゃんとしろ。不親切すぎるだろ、この国の政治かよ。とブチギレてたんですが、
ほりにしの味は「ほりにし味」
そうとしか言いようがありませんでした。あえて言葉にするなら「この世の全て味」
ほりにしには「食材、料理を引き立てる」という概念は存在しません。むしろ食材、料理こそがほりにしを引き立てている。本来は脇役、裏方であるべきはずのスパイス界において、ほりにしは主役を食ってしまうほどの圧倒的な輝きを放っていたのです。
黒色の絵の具に他のどんな色の絵の具を混ぜても必ず黒が残るように、どんな味もほりにしをかけると全てほりにしに吸収されてしまう。
相撲の力士が手を加えた時点でその料理の名前が「ちゃんこ」になるように、ほりにしが食べ物にかかった時点で、その食べ物の名前は「ほりにし」になってしまう。
例えばカレーライスにほりにしをかけた場合、その瞬間からカレーライスはカレーライスではなく「ほりにしライスカレー風味」になる。食材、料理を食うというより「ほりにしを味わうために他の食べ物を生贄にしている」と言っても過言ではありません。
正直、ほりにしがかけられるのであれば、食べ物である必要すらない。そのへんの鉄パイプにほりにしをかけて舐めたっていい。自分の腕にほりにしをかけて噛んだことすらあります。その姿は完全に、自分の尻尾を噛んで環となった竜、ウロボロス。おそらく「ほりにし」とは、一人の人間の名前ではなく古代ギリシャ語で「無限の象徴」を意味しているに違いない。そんな、ほりにしに取り憑かれし、ほりにし狂信者である私が、ほりにしの一番の生贄としてオススメしたい食べ物がこれ。
マヨです
「いや調味料だろバカ」という指摘は甘んじて受け入れましょう。
もはや「かける」その必要すらない。ほりにしマヨはそれだけで「完成」された芸術作品。「かける」ことでしか存在を許されなかった2人が出会った結果、とんでもない奇跡が起こってしまった。
皿の上にぶっかけてスプーンですくうなり、犬のようにだらしなくベロベロするなり、本当の自由がここにある。ほりにしに出会ったその日から私は人間ではない。
その上で、ほりにしマヨをフライドポテトなり野菜スティックなりエビフライなりを「ほりにしマヨの棒」にして食った時の衝撃たるや、宇多田ヒカルがデビューした時とまったく同じ。やっと見つけた俺のFirst Love…
最後のキスは
ほりにしのflavorがした
ニガくてせつない香り
明日の今頃には
ほりにしどこにいるんだろう
ほりにしかけてるんだろう
Horinishi are always gonna be my love
いつか誰かとまたほりにしかけても
I'll remember to love
Horinishi taught me how
Horinishi are always gonna be the one
今はまだ悲しいlove Horinishi
ほりにしの粉 かけれるまで
なんですかこれは