ドラマ『アンナチュラル』における石原さとみと井浦新のかわいさがアンナチュラルで目からLemon汁止まりません助けてください。
『アンナチュラル』は「人の死」をテーマにしたシリアス極まりないヒューマンサスペンス。
石原さとみが演じる主人公「三澄ミコト」は「不条理な死」を追求する法医解剖医という役どころだ。
『失恋ショコラティエ』の紗栄子のような120%かわいさあざとさに振り切ったサイコパス的なかわいさでも、『シン・ゴジラ』のカヨコ・アン・パタースンのようなおもろセクシーでもない、石原さとみにしては珍しい色のついていないスタンダードな役にもかかわらず、俺が知っている石原さとみが演じた役のなかでも文句なしにトップクラスのかわいさを誇っていた。
それはなぜか。この三澄ミコトを演じている時の石原さとみは、ものすごく「自然」に役を演じているような感覚を覚えるのだ。ミコトのかわいさは、上記で挙げた紗栄子のような計算され尽くしたかわいさではなく、ふとしたときのふとした表情、セリフ、仕草、外見だけでなく内面から滲み出る「人間的魅力」と言ってもいい。
アンナチュラルなのにナチュラル、石原さとみを絞って出た限りなく天然に近い濃縮還元の石原さとみ、石原さとみ界のポンジュース、それが三澄ミコトなのかもしれない。
そしてもう一人、このドラマにはミコトとは正反対、ゴリゴリにキャラメイクを施した井浦新演じる「中堂系」という男がいる。無愛想で口も悪く他人と相容れようとせず、挨拶すら満足にできないクソ社会不適合人間。目を覆いたくなるような悲しい過去を抱え「ある目的」のために解剖医を続けている。
そんな中堂を見ていると思わず「もういい…もういいよ中堂さん…アンタがんばったよ…ゆっくりお休み…?」と涙を流してしまうほどにドラマ的な男なのだが、最初は仕事に対する価値観の違いから事あるごとにミコトと対立していたのだ。
しかし、5話『死の報復』では死の真相を調べるためとはいえミコト達を自宅にあげたり、勝手に酔っ払ってしまいには寝てしまった東海林(市川実日子)や久部(窪田正孝)に
「あ〜、酒臭ぇ…クソが…。ヘルプどころかクソの役にも立たねぇコイツら…」
と文句垂れながらも二人が散らかしたゴミの片付けをしたり、さりげなく仕事の合間にミコトにコーヒーを淹れてあげたりと、徐々に人間味を見せ始める…
そしてついには、7話『殺人遊戯』で犯人を説得するためとはいえ
「俺たちは…三澄先生の仲間だ…」
って言う…。んな、なんじゃこのツンデレ…?ここまでドラマをみてきた視聴者なら中堂がこの言葉を放つことが、どれだけのことかわかるだろう…
俺がダントツで心臓破裂しかけたのが、事件解決後にミコトが事務所でおにぎり食ってるんですよ、そしたら中堂が個室から出てきて、
ガラガラガラ…
ミコト「おはようございます」
中堂「…(コクン)」(首をタテに振る)
バッ!!!!!!!!!!…バカ野郎…キンキンに冷やしたコップにいきなり熱湯ぶっかけるようなことしやがって…「…(コクン)」だ?お前はオオカミに育てられた少年か?人里はじめてなのか?あ、あまりにも愛くるしすぎる…
ん…?この感覚、どっかで味わった気が…自分の中にある記憶を辿っていくとある一つの結論に達した。
中堂系とは飛影のジャンケンである
(飛影のジャンケン。『幽☆遊☆白書』83話)
漫画『幽☆遊☆白書』で、目的のためなら手段を選ばない残忍で冷酷非道な性格だった飛影が幽助不在のなか、桑原・蔵馬と3人でほのぼのとジャンケンをしたときの、ノラネコが懐いたような、あのなんとも言えない感情。
それと同じものを中堂系の一挙手一投足に感じるのだ。リアル微笑みの爆弾。飛影に2つマルをつけてちょっぴりオトナになったのが中堂系なのかもしれない。
そしてそんな中堂の「…(コクン)」の愛くるしさにやられた直後のやりとりが、これだ。
中堂「(中略)まぁ…それで関東圏で出る10代から30代の女の遺体をできる限り調べてはいるんだが、毎月クソほど遺体が出るおかげで実は手が足りてない……協力しろ」
ミコト「…!」
中堂「…さんざん協力させられた…少しは返せ」
ミコト「…りょーかい」
あ…り…が…と…う…ご…ざ…い…ます…石原さとみの「りょーかい」は俺の魂を救う。ミコトと中堂、2つのかわいさの在来線爆弾により俺のガッズィーラは暴走寸前。二人の間にあるものが恋愛感情じゃないのが本当に良い…
間違ってもこの二人にはそういうことになってほしくないし、二人のあいだにあるものはあくまで仕事における『信頼』であってほしい。
だが…ミコトが中堂だけに向けるはにかんだ笑顔をもっと見たいし、中堂がミコトにいつか「おはよう」って言うの聞きたいんだよ…こんなワガママはアンナチュラルですか…?