「赤福」もらって人生に優勝した。
10年前に一度食べたことがあり、あまりのウマさに一瞬で一気食いして胃がバグって体調が悪くなり三日寝たきりになったんですが、それ以来の再会。嬉しくて涙が止まりませんでした。
日本中のあらゆる土産の上に立ちし土産。それが赤福。正式名称は「赤福餅」。しかし親しみを込めて今日は「赤福」と呼びたい。
まず、10年前に初めて赤福を目にした時の感想が
「顔洗いたい」
ぐうの音も出ない美しさ。俺もこうなりたい。赤福になりたい。今すぐに赤福で顔を洗いたい。赤福で顔パックをしたい。最近、元ぼくりり・たなかの嫁こと元HKT48で自称モテクリエイターのゆうこすが「Wi-Fiは肌に悪い!」っつって死ぬほど炎上していましたが、俺は逆に「赤福は肌に良い」説を唱えて炎上したい。
そして「あかふく」と彫られた独特の木べらで一口食べて
「眠りたい」
赤福の布団で眠りたい。本当のトゥルースリーパーが赤福だった。死んだら花の代わりに棺桶の中に赤福ぎゅうぎゅうに詰めこんでほしい。全身の臓器を全部あんこで包みたい。
あんこの概念が赤福によって変わってしまった。「あんこなんざ何食ったって一緒だろ」とイキリ顔で言っていた過去の自分をタコ殴りにしてやりたいし、今まで食べたあんこモドキ共を思い出し「なぜオレはあんなムダな時間を……」と、ポカリの缶も開けられない三井寿になった。
赤福ってお土産界のガッキーなんですよ。
俺、正直ガッキーのこと最初は別に好きでもなんでもなくて、たしかにかわいいのはかわいいし当時から人気もあったけど、どの役もなんかガチっとハマってねぇと思ってたし、一瞬歌手やってましたけど蚊のほうがまだ声出てましたし、どっからどう見ても「誰か人質に取られてる?」ってくらい無理矢理やらされてる感バキバキに出てて俺は絶対に落ちなかったんですね。
だから友達間でガッキーの話になっても、別に俺には他に好きな女優いっぱいいるし「ガッキーはいはいかわいいかわいい」くらいに思ったんですけど、『逃げ恥』の「みくり」で完全に「マジですいませんでした…」と画面のガッキーに向かって土下座しました。
かわいすぎて殺されて生き返って穢土転生した気分でした。俺の脳みそでは理解不能のかわいさ。「契約婚」という事実を隠して世間に溶け込もうとする時の本心を悟られまいとする際のある種の「あざとさ」で他人と接している時の自分のかわいさを100利用したガッキー、もはや暴力。
特に後半、完全に「好き」の感情が爆発して朝ベランダで手を振るガッキーの笑顔、今すぐに世界遺産に登録してほしい。あれは「役」のレベルを超えていた。みくりという役を通して『逃げるは恥だが役に立つ』の世界に完全に入り込んでいたし「みくり=ガッキー」の方程式が成立していた…
相手のことが「好き」という気持ちが画面から滲み出ていた。あの笑顔を守るためなら俺はなんだってできる気がした。俺にはガッキーを悲しませるあらゆる出来事から守る義務がある…
赤福、この感情と「まったく一緒」。こんなもん考えてみたら、ただの「逆団子」じゃないですか。なのになぜこんなにウマいのか理解が1ミリもできない。別に団子なんて普通はそんなに差がないじゃないですか。モチとあんこ、これ以上に味想像できる食べ物ないですよ。
しかし、赤福はその凡百な俺の想像を遥かに、そして静かに超えてきた。ただひたすらに「ウマい」だけを俺の脳内に叩きつけてきた。アニメ『中華一番!』だったら食った瞬間に口の中から黄金の龍が飛び出てバックでDEEN流れてるし、アニメ『美味しんぼ』だったら海原雄山の舌が爆発して死んでる。
そうやって改めて「赤福」のことについて本気出して考えてみると、あんこがウマいと思っていたのが、実は「モチ」が本当にヤバいということに気がついた。いったいなんなんだお前は…?
もちろん赤福のあんこはウマい。ウマすぎる。それはなんの疑いようもない事実。一生飽きがこない無敵のウマさは、完全にガッキーそのもの。
だが、モチは単純なウマいとかウマくないとか、そういうものでは測れないヤバさがあった。あんこを引き立てることだけに全力を注いでいるように見せかけて、実際はめちゃくちゃ主張してくる。しかし、決してあんこの邪魔はしない。適度な弾力、ほのかな米の甘さ、サイズ感、完璧なバランスでもってそこに存在していた…
このモチだからこそ「あんこウマっっっ!!!!」と感じる…俺が赤福を食って「ウマい」と思っていた感情の全ては「モチ」によってコントロールされていたのだ…
このモチにして、このあんこあり…ふたつでひとつ…それが赤福…
まて
あんこがガッキーだと…?なら…モチは…
モチ野源