モノマネ番組を見ていると、毎回ポルノグラフィティ岡野昭仁のマネだけは全員まったく似ておらず「本当にポルノ聴いてるのか?」と怒りすら覚えるレベルです。
なぜ人間は似ていないのに、それでもポルノグラフィティ岡野昭仁のモノマネをしたがるのかについて、岡野昭仁モノマネ歴24年の私が本気出して考えてみました。
まず、ポルノグラフィティ岡野昭仁のモノマネをする人間が必ずやるのが
1.高い声で歌う
2.鼻にかけながら歌う
3.一言一言をハキハキと歌う
4.語尾を下げて歌う
この4つです。たしかにこれらはポルノグラフィティ岡野昭仁のボーカルの特徴。意識すれば、ファン以外の人間が聴けばなんとなく「ポルノっぽいね」と言われることもあるでしょう。
しかし、これが甘え。勘違い。怠慢。バカ。
岡野昭仁のモノマネをする際、本当に意識するべきは「高音」ではありません。まったくの逆。そう、「低音」です。
ポルノグラフィティ岡野昭仁の声の最大の魅力は「高音とのギャップによって生まれる低音のエロさ」。サウダージで言えば
「私は」の「はァ…」
「私と」の「とォッ…!」
「いかないから」の「かァ…」
「いつかまた」の「たァ…!」
「会いましょう」の「しょッ…!」
「その日まで」の「そォ…!」
「嘘をつくぐらいなら」の「らッ…!」
「話してくれなくていい」の「はァ」
「見つめ合った私は」の「しィ」
「可愛い女じゃなかったね」の「ねェ…」
「飾らせて」の「か」
「涙が」の「なァ…!」
「溶かして」の「てェッ…!」
「溢れるものだとしたら」の「たァらァ」
「凛とした」の「たァ」
「留まり続ける限り」の「りィ…」
「許してね」の「し…」
「さらわれたの」の「たァ…」
「いつかまた」の「たァ…!」
「会いましょう」の「しょゥッ…!」
「時を重ねるごとに」の「にッ…」
「あなたを知っていって」の「てェッ…」
「時を重ねて」の「さ」
「夕日に例えてみたりして」の「てェッ…」
「言葉まで」の「でェッ…」
「陰を背負わすのならば」の「ばァ…」
「貝になりたい」の「かァ…!」
「誰にも邪魔をされずに」の「だ」
「海に帰れたらいいのに」の「のォ…」
「諦めて」の「てェッ…!」
「恋心よ」の「よォッ…!」
「青い期待」の「あァ…」
「あの人に伝えて」の「てェッ…!」
「大丈夫…寂しい」の「さァ…」
「繰り返される」の「えェ…」
「許してね」の「しィ」
「恋心よ」の「よォッ…!」
「いつかまた」の「たァ…!」
「会いましょう」の「しょゥッ…!」
「夜空を焦がして」の「てッ…!」
「私は」の「わァ…!」
「恋心とを」の「をォ……!」
「ンナァッ…」の「ァッ…」
「オオゥ…」「ゥ…」
声の掠れ。抜け。これらをマスターしなければポルノグラフィティ岡野昭仁にはなり得えません。それなのに、モノマネの人間たちは
「高い声で一音一音ハキハキと歌って語尾下げる」
ことだけに注力してしまう。これではただの「アホの小学生」にしかなりません。岡野昭仁の声の中にある揺らぎ、色気、それを意識しましょう。岡野昭仁は細部に宿ります。
そして最も大事なのが「いつの岡野昭仁のモノマネをやりたいのか」をハッキリさせること。
そもそも、岡野昭仁の声は時期によって全然違います単純に歌い方や加齢に伴う変化だけでなく、常に曲の雰囲気に合わせて歌声を進化させてきたボーカリストです。
サウダージで言えば、YouTubeで公開されてるミュージックビデオ(2001年)とライブ映像(2007年)、そしてTHE FIRST TAKE出演時(2023年)の声は曲のアレンジによって微妙に声色を変えており、その全てが完全に「別物」です。
にもかかわらず、誰がどの時代の岡野昭仁を聴いても
「ポルノグラフィティ岡野昭仁の声だ」
と一発で認識できてしまう。どれだけ歌い方や声の変化があっても、その内側に岡野昭仁という個性が燦然と輝いてしまっている。
そして、よくポルノグラフィティ岡野昭仁を評する言葉として「口からCDで音源」と言われますが、ライブではまったく違います。
「え?いやっCDより上手いんだけど?」
が、毎秒のように起きる。これが岡野昭仁の恐ろしさです。
そして、今までのモノマネ人間たちの失敗はここにあります。サウダージCD音源のモノマネをやろうとしていても、なにかのキッカケで他のライブ映像を見てしまう。すると、脳が混乱し
「お…俺はいったい誰のモノマネしているんだ…?」
という迷いが生まれる。この迷いはモノマネを見ている側にはすぐに伝わってしまいます。
さらにモノマネの人間たちは「ポルノグラフィティ岡野昭仁のモノマネをします!」と宣言をしてしまう。これが最大の問題点。
ここで聴く側との絶望的な齟齬が起きるわけです。「いやクソほど似てないやんけ還れ土に」と。
なぜなら「ポルノグラフィティ岡野昭仁」で想像する声は一人ひとりまったく違うのですから。
少年の無垢さと退廃的な青年のはざまで揺れながらも圧倒的なパワーで荒々しく歌う尖ったナイフのような2001年の岡野昭仁なのか、年齢と共に荒々しい角が取れそこに優しさとテクニックが加わった暖かい毛布のような2007年の岡野昭仁なのか、ボーカリストとしての深みが増しパワーとテクニックその両方を自在に操れるようになった熟成した赤ワインのような現在の岡野昭仁なのか…
あなたの岡野昭仁はどこから?
ベンザブロックのように自分に合った岡野昭仁を処方すること、それがポルノグラフィティ岡野昭仁のモノマネのただ一つの「極意」なのです。
以上。これらを全て意識し、ポルノグラフィティ岡野昭仁を極めた私がサウダージをカラオケで歌った結果が、これだ。
海の底で物言わぬ貝になりた〜〜〜〜い!!!!