「恐怖」
聴いてると星野源そのものが俺の中に入ってくる感覚。俺も星野源なんですけど今回ばかりは
「すべてが星野源になる」
感覚に非常に怖くなりました。それなのに俺は星野源なのに俺には新垣結衣がいない。こんなもん恐怖以外の何者でもない…
普通の邦楽アーティストのアルバムを聴いてると味わうことができない搦め手、反則技を全部やって、それでも世の中に受け入れられてしまう、許されている。そしてこれが日本でトップクラスに売れてるアーティストの最新アルバムだという事実。
エッセイ『いのちの車窓から2』を読んでも感じたんですけど今の星野源は「死ぬほど切れる刀を鞘にしまっても、鞘の破壊力が刀以上にヤバい」みたいな状態がずっと続いてて、もはや尖ろうが丸まろうが「なにやっても勝てる」フェーズに入ってる。
特に顕著なのがコラボ曲で、ルイス・コールがドラムに加えてボーカルも披露した『Mad Hope』しかり、イ・ヨンジが韓国語と日本語と英語でラップした『2』しかり、UMIとCamiloが英語とスペイン語で同時に同じメロディラインを歌う『Memories』しかりヤりたい放題。Mad Hopeで語感だけキモチイイなんの意味もない言葉を羅列させていても聴く側はそこに「源さんのことだから深い意味が…」と考察始まるのニーチェ?
しかも日本の歌手のアルバム聴いてて急に外国人の声聴こえてくるの、分かっててもめちゃくちゃビビるじゃないですか。アルバム聴いてて「俺は今いったい誰のなにを聴かされてんだ…?」って感覚になることってほぼないんですよ普通は。たまにサブスクずっと聴いてたら勝手にレコメンドで知らないなんかめっちゃ好みの曲流れてきて
「な、なんかよく分からんけどこの曲もイイ…ビクビクーーーーッ!!」
ってなることはありますけど、アレがアルバムの中で起きるの冷静に考えて異常。しかも、その「なんかよく分からんけどめっちゃ良い」と思ったのが全部星野源の曲だというのがマジで怖い。
数年前、親戚の子供を世話してる時にテレビ見たんですけど、たまたまEテレつけたら死ぬほど良い曲流れてて、
「な、なんじゃこの神曲…?幼児向けの番組でこんな良い曲流れンのかよ…?グローイングアップップ…?いったい誰が…?」
作詞:宮藤官九郎
作曲:星野源
編曲:益田トッシュ
「まぁ〜〜〜〜たテメェかァ…源………」
あの絶望を思い出しました。俺の人生のあらゆる事象は全部「星野源」に収束されていく。「すべての道は星野源に通じる。」ということがまたしても証明されてしまった。
そしてげに恐るべきは、一癖も二癖も、いや千癖も万癖もあるアルバム曲が暴れれば暴れるほど「タイアップ」として百万人に聴かれるために作った既出曲のヤバさが際立つってことで、耳溶けきるほど聴いてきた『創造』『喜劇』『不思議』『Why』『生命体』『異世界混合大舞踏会』『Eureka』…こいつらの魅力が何倍も増してるんですよ。
中学の時に好きだったかわいいけど素朴な女子と街でばったり会ったら、社会人としてメイクも服装もばっちりキメたバキバキの大人の女性になってて綺麗すぎて情緒ヤバい、みたいな感覚。特に『Glitch』のあとの『喜劇』、『Melody』のあとの『不思議』、『暗闇』の後の『Why(光の跡)』、『Sayonara』のあとの『異世界混合大舞踏会』…
いやもうお前ら曲同士で結婚しろ。
ご祝儀贈りたくなりました。『不思議』とか改めて聴くと良すぎて、初恋相手かと思った。なんで俺はあの時、手を握らなかったんだ…って聴きながら泣いた。ウェディングドレス姿、眩しすぎて見れなかった。
だが、それによって自分自身の感覚が研ぎ澄まされる感覚…シングルとして聴いている時には分からなかった些細な音に一瞬で気付く俺がいた。聴覚が研ぎ澄まされ、メインどころの音だけじゃなく、奥の奥で鳴ってるなんの音かもわからん音まではっきりと聴こえてくる…
メイク変えた髪切ったネイル塗った、なに食べたいなに欲しい、仕事でミスした親とケンカした、なにもかも気づいて叶えてやれる。『Gen』の前でだけは、俺めちゃくちゃデキる男になってる。
ヤバかった。「久しぶり!元気?星野源のアルバム聴いた?」とか変なライン送りそうになった。
何度か言ってるんですけど星野源って「365日外で布団干し続けてるやつ」っていう認識が俺の中であって、普通雨が降ったり風が強い日は部屋干ししたほうが乾きも早いし、飛ばされたり濡れたりする心配もないのに、星野源は外で一歩も動かずに呆れるくらい布団干し続けてる。それはギター中心の作曲からキーボードとDAW使った作曲になったこのアルバムでも、まるで変わってない。
時代のうねりによって常に動き続ける「ヒット音楽の台風」ってものがあるとして、自分のやりたい音楽、鳴らしたい音楽をやり続けてきた結果、そういうのが全部噛み合って、星野源がずっと立ってた位置がちょうどド真ん中、台風の目にいて、恋以降はそれが続いてたんですけど『Gen』はそれすら超えてもはや星野源そのものがヒット音楽の台風。つまり、
「星野源がどう動こうが、動いた先が真ん中」
もう全員星野源という大きな渦に飲み込まれて星野源になるしかないんですよ。だから源にはいつまでも音楽を作り出してほしい。
そして俺はそれを「ハリゲーン」と呼びたい。
…は?なに言ってんの俺?