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ミクスチャーブログ

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『おげんさんといっしょ』で女装した星野源が「俺の母ちゃん」すぎて恐怖

昨日NHKの『おげんさんといっしょ』が終わった。

2017年に本放送はもちろん、サブスク堂も全放送録画するほど楽しませてもらっていた。

好きな音楽を好きなように語り、好きなように歌い、踊り、演奏する。

その人間の娯楽の原点とも言える体験をあえて、「家族」というスタイルに落とし込み、お茶の間の団らんとして提供し、実家に帰ってきたような安心感と、なにが起こるかわからないテーマパークに来た時のようなワクワク感を、同時に味わえる。

これはテレビの歴史における、ひとつの革命と言っても過言ではありません。

それを作り出してくれた星野源、およびスタッフ、共演者には感謝しかない。

心から「ありがとう」と言いたい。

その気持ちは事実。

だが、絶対に許せない、物申したいことがひとつだけあります。

 

 

 

「俺の母ちゃん」すぎる

 

 

なあ…おい…そこでなにしてんだよ…洋子…

 

女装した星野源「おげんさん」が、死ぬほど

 

 

「俺の母ちゃん」すぎる

 

 

母ちゃんのプライバシーのために写真を出すことはできませんが、頭がおかしくなりそうなほどに女装した星野源「おげんさん」が、

 

「俺の母ちゃん」すぎる

 

 

親戚に画像を見せたら100人中100人全員が泡吹いてブッ倒れるレベルで、女装した星野源「おげんさん」が、

 

 

「俺の母ちゃん」すぎる

 

 

切れ長の目、笑ったときの口角の上がり方、ホクロの位置、輪郭、髪型…どこからどう見ても女装した星野源「おげんさん」が

 

 

「俺の母ちゃん」すぎる

 

 

ここまでくると、もはや星野源が「俺の母ちゃん」をどこかで目撃して、それを参考に「おげんさん」というキャラクターを作り上げたのではないか、とすら思ってしまうくらい、女装した星野源「おげんさん」が

 

 

「俺の母ちゃん」すぎる

 

 

画面、見てられない。

 

音でしか聴けない。声だけを聴けば、完全にそれは「星野源」でしかない。圧倒的、唯一無二のまぎれもない「星野源」。

なのに、一瞬でもテレビ画面を見た瞬間、それは、完全に、

 

 

「俺の母ちゃん」

 

 

想像してみてください。自分をこの世に産んでくれた、かけがえのない存在。

 

楽しいとき、つらいとき、いつもそばにいて、支えてくれた、一番の味方。

 

それが

 

 

「女装した星野源」

 

 

わかりますか?この恐怖が

 

全ての思い出が、「女装した星野源」によって塗り替えられていく

 

そしてそれが、全国放送のテレビに出演し、大勢の仲間を引き連れ、歌い、踊り、演奏し、ふざけている

 

そしてその声だけが

 

「星野源」

 

本当に怖かった。

 

いったい、俺は今なにを見ているのかわからなくなりました。脳では分かってる。

 

「これは女装した星野源だ」

 

と。星野源が「俺の母ちゃん」のはずがない。なのに眼球が、すべてを拒否して叫んでるんです。

 

「これは俺の母ちゃんだ」

 

と。

 

 

放送後、このことを、俺の母ちゃん(俺の母ちゃん)に電話して話したら、数秒の無言のあと、星野源とは似ても似つかない声で

 

「そんなことで電話してくるな!散(SUN)っ!」

 

って言って電話切られた