昨日NHKの『おげんさんといっしょ』が終わった。
2017年に本放送はもちろん、サブスク堂も全放送録画するほど楽しませてもらっていた。
好きな音楽を好きなように語り、好きなように歌い、踊り、演奏する。
その人間の娯楽の原点とも言える体験をあえて、「家族」というスタイルに落とし込み、お茶の間の団らんとして提供し、実家に帰ってきたような安心感と、なにが起こるかわからないテーマパークに来た時のようなワクワク感を、同時に味わえる。
これはテレビの歴史における、ひとつの革命と言っても過言ではありません。
それを作り出してくれた星野源、およびスタッフ、共演者には感謝しかない。
心から「ありがとう」と言いたい。
その気持ちは事実。
だが、絶対に許せない、物申したいことがひとつだけあります。
おげんさんといっしょ ファイナル
— おげんさんちのねずみ~(C・> (@nhk_ogensan) March 27, 2025
始まったよ~
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「俺の母ちゃん」すぎる
なあ…おい…そこでなにしてんだよ…洋子…
女装した星野源「おげんさん」が、死ぬほど
「俺の母ちゃん」すぎる
母ちゃんのプライバシーのために写真を出すことはできませんが、頭がおかしくなりそうなほどに女装した星野源「おげんさん」が、
「俺の母ちゃん」すぎる
親戚に画像を見せたら100人中100人全員が泡吹いてブッ倒れるレベルで、女装した星野源「おげんさん」が、
「俺の母ちゃん」すぎる
切れ長の目、笑ったときの口角の上がり方、ホクロの位置、輪郭、髪型…どこからどう見ても女装した星野源「おげんさん」が
「俺の母ちゃん」すぎる
ここまでくると、もはや星野源が「俺の母ちゃん」をどこかで目撃して、それを参考に「おげんさん」というキャラクターを作り上げたのではないか、とすら思ってしまうくらい、女装した星野源「おげんさん」が
「俺の母ちゃん」すぎる
画面、見てられない。
音でしか聴けない。声だけを聴けば、完全にそれは「星野源」でしかない。圧倒的、唯一無二のまぎれもない「星野源」。
なのに、一瞬でもテレビ画面を見た瞬間、それは、完全に、
「俺の母ちゃん」
想像してみてください。自分をこの世に産んでくれた、かけがえのない存在。
楽しいとき、つらいとき、いつもそばにいて、支えてくれた、一番の味方。
それが
「女装した星野源」
わかりますか?この恐怖が
全ての思い出が、「女装した星野源」によって塗り替えられていく
そしてそれが、全国放送のテレビに出演し、大勢の仲間を引き連れ、歌い、踊り、演奏し、ふざけている
そしてその声だけが
「星野源」
本当に怖かった。
いったい、俺は今なにを見ているのかわからなくなりました。脳では分かってる。
「これは女装した星野源だ」
と。星野源が「俺の母ちゃん」のはずがない。なのに眼球が、すべてを拒否して叫んでるんです。
「これは俺の母ちゃんだ」
と。
放送後、このことを、俺の母ちゃん(俺の母ちゃん)に電話して話したら、数秒の無言のあと、星野源とは似ても似つかない声で
「そんなことで電話してくるな!散(SUN)っ!」
って言って電話切られた