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俺たちの吉岡里帆が『カルテット』6話感想

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ドラマ『カルテット』6話感想。

 

男女のズレ、夫婦のズレ、恋人のズレ、そりゃあ一つ屋根の下で一緒に生きてりゃ色々ある。「40年かぁ〜」と「40年かぁ〜〜〜」、いつまでも恋人でいたかった男と家族になりたかった女。二人の歩幅には明確な差があった。

君の選んだ人生(ミチ)は僕(ココ)で良かったのかなんて わからないけど

ただ泣いて笑って過ごす日々に 隣に立っていれることで

僕が生きる意味になって 君に捧ぐこの愛の唄

人生のことを(ミチ)と読むような男が男目線で歌うこんな曲をありがたがるのはいつも女。いつまでも女々しく昔の思い出に浸っているのは男。分かり合えるはずもない、じゃあどうするか、分かり合えないなら認め合えばいい。

俺は唐揚げにマヨネーズぶっかけるような関係性がいいです。

 

それはさておき、俺たちの吉岡里帆ちゃんが大変なことになってます。前回、あれだけのインパクトを残した彼女が演じる来杉有朱、6話はてっきり有朱ちゃんが家森(高橋一生)とサルの青いキンタマをいじくりまわす回かと思って完全に油断してたから思わず声出た。

幹夫「3階から落ちたくらいじゃ死なないよ。」

巻「2階から落ちても死ぬ人はいるんだよ。」

というくだりがフックになってくるとは誰が思おうか。

いや、宮藤官九郎が出てきた瞬間から嫌な予感はしてたわ。ドラマに限らず、物語というのは主要の登場人物が多くなればなるほど、その風呂敷をたたむのが困難になる。伏線を張りすぎて話がとっ散らかり、作り手側がキャラクターを持て余し、空中浮遊したまま終わってしまわないように描くのが面倒なキャラクターはなにかと理由をつけて物語から退場させていくというのはよくある話だ。

それでいうと、このカルテットというドラマはイッセー尾形、菊池亜希子、前田旺志郎、高橋源一郎、安藤サクラ、Mummy-D、高橋メアリージュン、大森靖子と1話からクセの強すぎるキャストが出てきては消え、出てきては消えていく中で、単なる仕事先のいちウェイトレスであった来杉有朱の飛躍っぷりはすごかった。ただひたすらカメラ目線でメシを食うという単独企画すらあるほどに。

 


【自撮り】吉岡里帆が牛カルビ丼を食べてたら〇〇になった!! 火曜ドラマ『カルテット』【TBS】

 

にもかかわらず「主人公の夫」というキラーカードが出てきたことによってストーリーが核心に迫るほかなくなり有朱に費やす尺がなくなったのか、さんざんカルテットを引っかき回し、時には4人のやる気スイッチ的存在だった彼女の役目が終えたということなのか、あまりに突然すぎるラスト3分。「来杉有朱」という人間がまったく見えないまま、彼女がリタイアしてしまうのはめちゃくちゃ辛い。有朱が愛おしそうに真紀のバイオリンを抱いたのにはどんな想いが込められていたのか、できるなら彼女自身の口からほんとうの気持ちを聞きたかった。もしかして「ハローグッバイな子」ってそういう意味かよ。 

破裂したオレンジのカラーボールと見つからない青いキンタマ。坂元裕二が描くこの残酷なほど美しい色彩の対比は、宙ぶらりんになってしまった登場人物たちの気持ちを表しているのだろう。軽井沢の雪と共に彼らの心の氷が解ける日はくるのだろうか。

 

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