ドラマ『フランケンシュタインの恋』感想。
めちゃくちゃ面白い。最高。すごいぞこのドラマ。だってドラマ観てエンディングで流れるRADWIMPSの曲聴いてはじめて「あぁ、この曲めっちゃ良いなぁ、誰が歌ってんだろ、は?ラッド?マジか…」ってなったから。不覚にもウルッときちまったよチクショウ。歌詞のキショいモヤシバンドとか思ってて本当にすいませんでした。野田洋次郎、アンタ天才だよ。それくらい良かった。
まず、ドラマの空気感がめっちゃ良かった。どうしてもこういう人外キャラを実写でやると妖怪人間ベム然り怪物くん然り、どうしてもチープさって拭えないものなのに、このドラマにはそれがまったくない。本当にフランケンシュタインはそこに存在してた。
とりあえず、理系森ガール+二階堂ふみ=致死量の毒、という方程式がここに提唱されました。直視したら確実に殺されるほどかわいい。なに?あの透明感。なに?あの尊さ。あのキャラで「あざとさ」がまったく感じられない、純粋な好意と好奇心のみを具現化させたら津軽継実という存在ができあがった。
それ以上に愛おしいのがフランケン役の綾野剛、あの素朴さ、純粋さ、どうやったらあんな演技できんの?見てると世界を抱きしめたくなる愛くるしさ。実際、120年も生きてきて、自転車に乗ったことがない、風呂に入ったことがない、なんていくらなんでもありえないんですよ、いま2017年だぜ?絶対いくらかそんなチャンスあっただろ、だってお前ラジオ聴いてるじゃん、言葉喋ってるじゃん、「そんなんありえねーわ笑」ってなるはずなのに綾野剛が演じるフランケンは本当になにもかもが初めてなんですよ、嬉しそうな顔してあったかいお布団で寝るんですよ。「人間の作ったキノコおいしい!」って赤ちゃんみたいな表情するんですよ。そこに俺たちはなんの疑いもないんですよ、目キラッキラさせながら街を見渡すんですよ。逆コナンかよ、体は大人、頭脳は子供かよ。
せやかて工藤、『フランケンシュタインの恋』に圧倒的なリアリティをもたらしているのは、綾野剛一人だけの力じゃなく、他の役者たちの力もとんでもなく大きい。とにかく大根役者が一人もいないっていうのがデカい。二階堂ふみ、柳楽優弥、柄本明、光石研、川栄李奈、新井浩文の演者の演技力によって、ファンタジーであるこの話に圧倒的なリアリティが生まれてる。登場人物がみんないちいち愛おしい。なんなんだ柄本明のあの髪型は。胡散臭いラジオパーソナリティとか、昼間から酒飲んでるかわいい女ヤンキーとか、あんな奴ら絶対いないんですけど、いるんですよ。
それで、ほのぼのと、ゆっくりフランケン・研と継実の二人は時間を刻んで距離を縮めていくんだろうなぁ、と思っていたらラストのあのキノコ攻撃。綾野剛が愛おしすぎて忘れてたがアイツは怪物だった。そこでホッとした心をガッと現実に引き戻される感じ、感情をグワングワン揺さぶられる感じ、本当に罪なドラマだ。
あれって一時的に感情が高ぶったときに出る伝染性アレルギーみたいなもんだと思うんですけど、たぶん本人ですらコントロールができない。それによって一個「人間とは違う」っていう壁が生まれてそこを継実たちがどう乗り越えて、絆を、愛を深めていくかってストーリーができあがる。でもそれは俺たちに関係ない話なんかじゃきっとなくて、「他人とどうやって心を通わせていく」みたいな普遍的な話なんだと思った。
これからどう話が動いていくのか、全然想像もつかないですけどハッピーエンドでもバッドエンドでもボロボロ泣く自信はある。これヘタしたら最終的に綾野剛の顔見るだけで泣ける「ドラえもん おばあちゃんの思い出シンドローム」になるんじゃないのか。
『フランケンシュタインの恋』、今クール1番の名ドラマの予感がします。
※どっかで出てたけど、綾野剛の「父」のイントネーションがドラゴンボールで悟空がチチ呼ぶときのそれと同じなのだけ気になった。