甥っ子(9)が遊びに来て、ちょうど6時になったんで「6時だ!ちびまる子ちゃんとサザエさんの時間だぞ!一緒に見よう!」っつったら、
「あぁ〜〜、あれね。あんまりおもしろくないよね。なんかいかみたことあるけど、おんなじことのくりかえしで、まんねりだからきょうみないんだよね」
って言われて『ちびまるサザエガチ勢』の俺はブチギレまして。
(な、なに言ってんのコイツ…ま、「まんねり」?どこでそんな言葉覚えてきた?「きょうみないんだよね」?きっしょ…FF7のクラウド?テメェにちびまるサザエのなにがわかんだコラ?いいか、耳の穴かっぽじってよく聞けバカが。今から無知なお前にちびまるサザエの素晴らしさ、お兄さんが叩き込んでやっからなぁこのクソガキがよォォオ!!??)
って心の中でイキリ倒したんですけど、結局9歳の子供に「ぐぬぬ…」としか言えないアラサーの男がいた。
あの、すいません、ちびまる子ちゃんと、サザエさんって、なにが面白いんでしょうか…?
生まれてから20年以上、ほぼ毎週『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』を見てきた俺たちにとって、もはやこの2つの作品は『空』みたいなもんで、いつもそこにあって当たり前。「面白い」だとか「つまらない」だとかのレベルを完全に超越したアニメになってるじゃないですか。ほぼ身体の一部。具現化した魂。ザ・コア・イズ・サザエ。
このクソガキはちびまるサザエのことを同じことの繰り返し、「マンネリ」だとか言ってやがるが、むしろ俺ら『ちびまるサザエガチ勢』はそのマンネリを欲してる。変わらないのがいいし、変わってほしくない。一生ピーヒャラピーヒャラ腹空かしててほしいし、一生魚くわえたノラネコ裸足で追っかけてほしい。それをツマミにビール飲みたいんだよ俺たち大人は。
ちょいちょい諸事情で中の人の声変わると、そのたびに体にブツブツ出そうになるほど拒否反応を起こしてしまう。正直まだカツオにすら慣れてないとこあるのに波平に慣れるわけがない、マスオなんて声聞くたび「いや誰?」となってしまう。それくらい、俺たちは6時か7時の1時間に「変化を求めてない」。
でも、クソガキは違う。ちびまる子、サザエさんっていう作品に対してなんの思い入れも感慨もない。ライムスター宇多丸も引くくらいフラットに物語を評価してる。知らん小学生の、知らんアラサー夫婦の、知らん大家族の、なんでもないただの日常を見せられても「それで?」としかならない。
ちびまる子ちゃんでたまに、
「まる子が変な言いがかりつけてキレてお姉ちゃん(orお母さん)とケンカして、でも最終的にめっちゃまる子のこと大事にしてるってことがわかって、まる子が半ベソかきながら謝って夜は一緒の布団で寝てハッピーエンド」
みたいな半年に一回くらいのスパンである大人がゲボ吐くほど泣く話あるじゃないですか。あんなん見ても多分このちっちゃいクラウドはなんも思わない。
「またばかやってら」
くらいにしか思わない。
だって、大好きな仮面ライダーやなんちゃらレンジャーのように倒すべき敵がいるわけでもない、ドラえもんのように心躍るひみつ道具があるわけでもない、ポケモンのようなド派手なバトルも、なぁ〜んにもないんだもの。マジの無。
「まる子、マラソン大会の前に苦労する」の巻
だからなんだよくだらねぇ。「まる子、地獄の底で魔戒騎士と対峙する」の巻、とかにしろ。って思ってるんですよ。
そう考えると新規の、しかも齢ヒトケタの子供の心を揺さぶられる要素が『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』にあるのかって言われたら、ほんともうビックリするくらい言葉にできない…なんも言えねぇ…だって、ちびまるサザエに「変化」「面白さ」求めてるヤツがいること自体が未確認物体だから…
いや…ちびまるサザエに限らずいわゆる「ほのぼの日常系」の作品をプレゼンするというのは、ある意味どんなジャンルを勧めることよりハードモードなのかもしれねぇ…誰か助けてください…「ガキでもわかるちびまるサザエの推しポイント」俺の代わりにプレゼンしてください…
でも「大人がナメられたままじゃ終われねぇんだよ…」って、テレビに目もくれずSwitchでスマブラやり続ける甥っ子にバッキバキに目ぇ血走りながら、
「ま、まぁ、いいわ…いずれお前も大人になったら、サザエの良さが、この世が『面白い』か『つまらない』の2つだけじゃないってことがわかっからよォ……?」
って言ったら、
「ぼくはこんなのをたのしめるようなおとなにはなりたくないね。おんなじことのくりかえしで、せいちょうがみられないんだよね。せいちょうが。」
そうドヤ顔で言う甥っ子見て俺は
「その言い草、カツオみたいだな…」
って思った。ジャンケンポン!うふふふふ。