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ミクスチャーブログ

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ポルノの曲から10曲選ぶと趣味どころじゃなく人生が晒される

先日Twitterで「#ポルノの曲から10曲選んで趣味を晒す」のタグがトレンド入りしてたんですが、なんてもんトレンド入りさせてんだ?と怖くなりました。

ポルノグラフィティは日本でもトップクラスに曲の幅が広いアーティストだと確信しており、現在リリースした曲、その数なんと「250」以上。

そして作詞が4人、作曲が5人、編曲が9人。この天文学的な組み合わせから生み出されるカオスな曲の数々はもはや「迷路」で、その中からたった10曲を選ぶというのはもはや修羅の道。

しかも、以前も書きましたがポルノグラフィティの恐ろしさとは聴く人間によって「ポルノグラフィティらしい」がまるで違ってくる「認識の差異」にあり、

『サウダージ』や『アゲハ蝶』のような「異国情緒あふれるラテン失恋曲」こそポルノグラフィティだと言う人間もいれば『ミュージック・アワー』や『ハネウマライダー』のような「爽やか夏ポップソング」をポルノグラフィティだと主張する人間もいる。

『ネオメロドラマティック』や『アポロ』のような「意味不明電波ロック」こそポルノグラフィティだと発狂する男もいれば『愛が呼ぶほうへ』や『黄昏ロマンス』のように全てを抱きしめる「森羅万象肯定バラード」こそポルノグラフィティだと涙を流す女もいる。

『ヒトリノ夜』や『THE DAY』のような「BPM爆速アニソン」こそポルノの本質と考えるオタクもいれば「『渦』と『ラック』こそ至高のポルノ…」と腕組みをする変質者もいる。

と、もはや曲によって別のバンドになると言っても過言ではなく、生きとし生ける人間すべての心の中に「それぞれの信じるポルノグラフィティ」がいるのです。

そんなグニャグニャの音楽の中にアキヒトの声とハルイチのギター、シラタマのベース、が加わることで唯一無二の音楽になるのがポルノグラフィティのヤバさなのだが…

 

ゆえに、その日の気分、健康状態、家庭環境、人間関係、経済状況、その他もろもろによって曲の好みなんてものは毎分、毎秒ごとに変わる。昨日までなんとも思ってないどころか「なんじゃこの地味な曲…?」といぶかしげな顔をして『オニオンスープ』を聴いていた男が、次の日には

 

「あ…圧倒的すぎる…なんだこの神曲は…?これはまさか「食」を通して「生きる」ことそのものを肯定することで「幸せ」の本質を改めて問うあらゆる生命に対する究極のラブソングなのか…?全ての音楽の「答え」がここにはあった…お父さんお母さん…この星に僕を産んでくれてありがとう…ポルノグラフィティと出会わせてくれてありがとう…宇宙…できてくれてありがとう…ポルノを育ててくれたお父さんお母さんもありがとう…農家のみなさんもありがとう…お米をありがとう…ポルノを大きくしてくれてありがとう…」

 

と、全身を震わせながらヨダレを垂らしていることなど日常茶飯事。

夢を追いかけている時には『ギフト』がブッ刺さるでしょうし、切ない恋をしている時には『サボテン』がブッ刺さるでしょうし、今夜はブチ☆アゲpartyウェイな時には『狼』がブッ刺さるでしょうし、激烈にムラムラしている時には『まほろば○△』が刺さるでしょうし、幸せについて本気出して考えている時には『幸せについて本気出して考えてみた』がブッ刺さるでしょう。

すなわち、ポルノグラフィティの曲を10曲選び、それを晒すというのは趣味どころか人生を晒しているということ。「実名アカウントで自宅で全裸で踊り狂っている動画を公開する」とイコール。

だからこそ私には分かってしまう。ポルノの曲を10曲選んでいただければ、その人間の外見、性格、性癖、家族構成、部屋の間取り、家賃、風呂場で最初に洗う箇所、全て分かる。これが全ての占いを超える「ポルノ占い」

 

というわけで、ある男が選んだポルノの曲を10曲から、どういう人間なのかを考察しました。

 

これを要約すると、

 

「有名曲をあえて入れないことで俺はコアファンだとアピールしようとするめんどくせぇ性格かつネットでめっちゃ喋るのに現実世界で意見を求められるとしどろもどろになりダラダラと汗をかくことしかできないクラスの隅にいる童貞にも気さくに話しかけてくれるタイプのギャルが好きな一人っ子のムッツリスケベのガリガリ一重。2DK6万。右脇。」

 

いかがですか。これからはポルノがしいたけ占いだ