SixTONES『音色』さん、2024年度「ラスサビのアカペラ最高オブ・ザ・イヤー」おめでとうございます。
俺は常日頃から「ラスサビで急に演奏止まってアカペラになる曲を養子に迎えたい」と考えている危険思想の持ち主なんですが、SixTONESの新曲『音色』を迎えることに決めました。
音色には今日から「パパ」と呼んでもらいたい。宇宙よりデカイ愛情注ぎたい。
今年1月に『THE VIBES』という、言ってしまえば治安激悪ゴッサムシティヒップホップアルバムによってSixTONESとはアイドルの中でもそういう立ち位置なのだと、アメコミで言えば「ヴィラン」すなわち悪を担う存在になっていくんだと、認識しつつあったこのタイミングでの
「ド王道ヒーローポップラブソング」
滋養強壮に効く、としか言いようがありませんでした。今の俺にとってSixTONESとは聴く養命酒。日々の喧騒に疲弊しきっていた心身に、親より優しいメロディと歌詞がドボドボと入ってきた。
「一人ィィイイイ……でェ生きられェェ…なァァい……(スゥッ……)
わけでもないのにィィイイ………この道選んでるゥウウゥウウウウ……」
「目に見えなァァアい絆やァ……!」
「運命だとかァ……」
「信じざるを得ない今があるゥゥゥウウウ……」
デェンドンデェェンデェエエン……!!
ファッ……
SixTONES「出会えただけで特別な毎日ィ…!
アァア〜〜〜!こうして僕らは今歌ってるゥッ!」
リュッルルイルリリリリリリリリリッィイイイイイイ!!!!
俺「ビクトリー……」
電車で一人、そうつぶやいていた。ハタから見ればまぎれもなく不審者、社会的には完全な敗北者だが「耳の完全勝利」とはまさにこのこと。
まず”そこ”に至るまでの過程が素晴らしい。歌詞もメロディも優しいのに曲の構成は鬼のスパルタ。静→動→静→動と、何段階にも及ぶ曲の盛り上がりを経て、「キャッチー」という言葉を具現化したようなサビ。
「やけになんだか 今日はさ 夕焼けに伸びた僕らの影が
重なっていつもより 大きな一つのものに見えるな」
「なんだかanaa」「今日はさouaa」
「夕焼けuuae」「僕らの影ouaoae」「重なってaaae」
「いつもよりiuooi」「大きなooia」「ひとつのものにiouoooi」
Aメロから文章としての意味は2ミリも損なわず、巧妙に母音を合わせることによって聴き心地を担保する。その上で、絶対に一人では歌えないメロディの複雑さによって圧倒的な中毒性を生み出していた。
そしてそれを6人それぞれが自分の声の個性を見せつけるように連続して歌い繋いでいくんですが、キーの上がり下がり具合がただの歌のビッグサンダー・マウンテン。
陽だまりの丘ような高音のジェシー→ガラス細工のような京本大我の高音→ブラックホールのような松村北斗の低音→放課後の小学生のような髙地優吾の高音→紙ヤスリのような田中樹の低音→初恋の思い出のような森本慎太郎の高音。
こんなもん一人カラオケで歌ったら死ぬ。技術的な意味でも死ぬし、俺の人生にはこんな6人の仲間はいねぇという事実に死ぬ。一人も似た声質がいないSixTONESだからこそできるマイクリレー。「この6人」でしか歌えない歌。そこに『音色』というタイトルの意味が込められている気がした………
Youtubeサイズですら、何度も聴きたくなるような仕掛けが山ほどある。もうSixTONESがディズニーランドのアトラクションのひとつになってほしい。そんなことになったら、俺は風間俊介以上に毎日ディズニー通ってしまうでしょうね…
どゆこと?
そして満を持して訪れる「脳汁」の瞬間。ジェシーから徐々に歌う人数が増え、ラスサビで「SixTONES」が完成していく。サグラダファミリア建設のような焦らしの連続、そして…
SixTONES「出会えただけで特別な毎日ィ…!
アァア〜〜〜!こうして僕らは今歌ってるゥッ!」
俺「アっっっっ!!!!アアああああァアッ〜〜〜!!!!」
主題歌ドラマ『お迎え渋谷くん』ってタイトルらしいんですが、俺が天国に迎えられそうでした。『お迎えられかんそうくん』始まった。