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ミクスチャーブログ

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SixTONES『君がいない』の「カッフィ」が、もう一生頭から離れられない

今回SixTONESのアルバム、ほぼ通常盤限定曲の『君がいない』しか聴いてない。

恐ろしい曲が爆誕してしまった。まず、イントロについて軽く語らせてもらいたい。

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ヴウウゥゥン

ジェシー「オォーーーゥッッ!」

ベェエンベエェン(ペケェ)ベエェェェンヴゥゥゥウウべッベロベッベロンベロンヴウウゥゥンベェエン(ペケェ)

松村北斗「ハァ…」

ベエェンベエェェェンヴウウゥゥン

ジェシー「アァァアイェエアァァアアアアアアア!!!!」

ベエェェェンヴゥゥゥウウべッベロベッベロンベロン

松村北斗「ン゛ゥヴン…」

ダウナーなベースのリフと同時にジェシーの特大フェイクから間髪入れず松村北斗の溜息そしてまたベースが絡んだと思った瞬間に再び狂ったかのようなフェイクそして想いの全てを掻き消すような松村北斗の咳払いを皮切りに始まるのだがここがあまりに素晴らしくこれをフルで聴くためならどれだけ金を払っても良いそう思わせられるイントロだった。この印象的なリフは曲の全編にわたってループされており「声すら楽器の一部」と言わんばかりに隙間隙間に6人の声のフェイクが入ることで同じフレーズでも1小説ごとにまるで違った聴こえ方になる。これは野球で言えば常に150キロの球速のストレートを投げているように見せかけてその全ての投球フォームが微妙に違うのと同じ。つまりその全てが「同じなのに違う」聴き手は何度聴いても耳が慣れることなく毎回初聴のような感覚に陥り曲が終わる頃には確実に聴いた人間の脳にこのメロディがインプットされるように仕組まれている我々は言わばSixTONESという名の大きな渦の中に巻き込まれた沈没船だったのだ。そもそもヒップホップにループの概念を最初に刻んだのは1973年およそ50年前ジャマイカ出身のDJクール・ハークがニューヨークのブロンクスにあるアパートで開かれたホームパーティー中に2つのターンテーブルとミキサーでR&Bとファンク・ミュージックをかけながら曲のブレーク部分を無限にループさせ人々を熱狂させたのが始まりで、

 

えー、つまり

 

「やっっっば。」

 

というイントロから始まり、そこから

「ありきたりなLazy Morning

何気ない日々にイラつき

Boring, Boringって

寝ぼけた頭コーヒーで覚ませば

嗚呼、

君がいない

君がいない」

のフレーズがめちゃくちゃヤバかった。特に「コーヒー」を全員なぜか

 

「カッフィ」

 

と発音しており、この中毒性がめちゃくちゃ、マジでめちゃくちゃヤバかった。

ボーカルが複数人いるグループの最大の魅力とは「それぞれが曲の世界観とどう向き合い、どう表現しているのか」を知ることができるところで、同じフレーズを繰り返し歌うこの曲ほどそれを堪能できるものは他になく、メロディは一緒でも、声の高さ…強弱…テンポ…個性がそこに現れるのだが、曲中6回それぞれの

 

「カッフィ」

 

を全身で浴びてしまった。ジェシーの吐き捨てるような「カッフィ」、髙地優吾の強がりの「カッフィ」、森本慎太郎の自暴自棄な「カッフイ」、京本大我の殺意すらこもった「カッフィ」…「世界カッフィ選手権でも開催されてるんか?」と言わんばかりに、その歌詞に対して各々が「恋人が出ていって朝も満足に起きられない堕落したダメ男」を見事に演じていた。

さらに1番の田中樹のバースで根幹である失恋の切なさを田中樹の低音で気怠げ、しかし内側の熱はまだ燃えている青い炎のようなフロウによって歌詞の説得力が増す。続くまったく真逆の声質を持つジェシー髙地優吾の声で湿っぽくなりすぎずポップソングとしてのバランスを絶妙に保っているのだ、田中樹からバトンを受け取ることでそれがより際立つ。そこから松村北斗のどちらかと言えば田中樹と同タイプの低い声の持ち主だが艶がありネットリとした声質によって、この恋が一筋縄ではいかない歌詞通り「まるでミステリー」を再び体現する。

そして、次のバースでは屈指の「通る声」の持ち主である森本慎太郎と京本大我によってサビへの助走をつけるのだが、サビ前のジェシーの溜息で倦怠感を増幅させマイナーコードで進行するメロディの物悲しさを極限まで高めていた。しかしバックで聴こえる「アァーオォー」というコーラスによって悲しいだけでない「乗れるヒップホップ」としてのバランスを保っているのも見事という他ない。サビが終わる瞬間にイントロのジェシーの「アァァアイェエアァァアアアアアアア!!!!」がサンプリングすることでよりメロディをより印象づけるというあまりにも完璧すぎる構成になっていた。この曲は冒頭でも述べたように「声を楽器として使う」のがあまりに上手く例えば間奏前の髙地優吾の「何もかもはじまらないだって君がいない君がいない君が」というパートでは田中樹の「アーイアーイアーイ」というコーラスなどフレーズ毎にアレンジを毎秒絶えず流動させることで、、、

 

止まらない。感想が止まらない。早くこの曲を実写化してほしい。1話ごとに6人が演じるダメ男の恋愛模様を見せてほしい。木曜22時に放送してほしい。

そして、もしこの曲を実際に歌っている姿を見れば、その時点で俺は「終わる」。そう思っていたんですが、

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終了しました

 

なんということだ…今書いた原曲の良さにバンドの生感が加わることでより曲の世界観が鮮明になりメロディと歌詞がグッと近くなっていた…

曲への没入感もはやVR…『君がいない』の「君」とは俺です。と言って逮捕されてしまいかねないほど曲の世界に入り込んでいた…

さらに、それぞれが己のパートでただ原曲をなぞって再現するのではなくアレンジに合うように声で遊んでおり、ジェシーのフェイクのレパートリーは無限か?髙地優吾の決して失われることのない無垢なアイドル性はなんなんだ?田中樹のラップパートの安心感は実家か?松村北斗のライブのがなり声で米釜ごと食わせてくれ、森本慎太郎の声の跳ねを再現したトランポリン作らせてくれ、京本大我の掠れ高音を目覚まし時計したい…

 

興奮が、収まらない。誰か、誰か止めてくれ

 

落ち着け…一回冷静になれ…

 

ちょっとコメダカッフィ行ってきます