運動不足解消のために2年ほど前から自転車に乗っています。
齢27歳にして数多くの自転車に乗ってきたが、このミニベロ『Flat-1 Cony(フラット1 コニー)』以上の自転車を俺は知らない。奇跡の舟はここにあった。
初めてフラット1 コニーに跨ったとき、初めて一人で自転車に乗ることができた時のあの気持ちを思い出した。父と公園で何度も何度も倒れ、膝小僧を擦りむかせ、泣きながら自転車と向き合ったあの日。
〜回想〜
僕「パパ!絶対後ろ離しちゃダメだからね!絶対だよ!」
父「ああ、わかってるよ」
僕「ボク、まだ怖いんだからね!離しちゃダメだよパパ!パパ?(後ろを振り返る)」
シャー
僕「え?」
父「ハハハ、もうとっくに離してるよ」
僕「わ!やったぁ!ボク乗れたよ!一人で自転車に乗れたんだ!」
母「んもう、こんな遅くまで。男の子ってなんでいつもこうなのかしらね。ふふ、今夜はカレーよ」
僕「ママ!」
〜回想終わり〜
フラット1 コニーに乗りながら、俺は思わず涙を流していた。いつから俺は自転車をただの「道具」としてしか見れなくなってしまったのだろう。初めて買ってもらったピカピカの自転車、父と練習したあの時間、母の作ったカレーの味。そんなかけがえのない大事なものをいつから忘れてしまっていたのだろうか。日々の喧騒に追われ、欲にまみれ、打算でしか物事を考えられなくなってはいないだろうか。
そしてフラット1 コニーと出会ってからというもの、どこへ行くでもなく気の向くままにタイヤを走らせる日々が続いた。駅前、商店街、海岸沿い。ただ流れに身を任せる。いや、本当はあの時の気持ちをずっと探していたのかもしれない。旅先の店、新聞の隅、こんなとこにあるはずもないのに。
洗練されたフラット1 コニーのデザインはもはや芸術。乗り手という額縁に入れることでそれは「作品」になる。
重量わずか10.5kgというその躯体は綿のように軽く、まるで背中に羽が生えたかのように俺の背中を押してくれる。
ペダルは足元で吸い付くような踏み心地の薄型プラットフォームペダル。疲れなどまるで感じない。軽快なリズムでどこまでも行ける、どこへだって行ける。
シフターは8段変速のラピッドファイア式で、簡単にシフトチェンジが可能。1段、また1段とギアを上げるたびに心のギアも上がっていく。ワクワクと共にぐんぐん加速していく。
フラット1 コニーは乗るたびにまるで自分の身体の一部になったかのような感覚に陥る。もはや「自転車に乗っている」という意識すらなくなっていく。ペダルを漕ぐたびに「BICYCLE」には「I」があるのだと、そう実感させてくれる。
どこまでも続くこの道を1秒先の未来へ向かって駆け上っていく。徐々に速度を上げる自転車のスピードとは裏腹に時間はゆっくりと、とてもゆっくりと流れていく。
そして僕は風になった。