以前、一回だけ同じバンドを好きになった女の子と付き合ったことがあるんですが、今思えば本当に地獄でした。
そのバンドの名は「Mr.Children」。みなさん覚えておいてください、ミスチルファンというのは「新興宗教的」な側面がありまして、教祖でボーカルの桜井和寿大先生が「カラスは白い」と言えば白、ちょっと教祖が「乃木坂46の『きっかけ』が良い」と言えば信者は「乃木坂マジで神」とか言い出すのです。バカが。
ファン歴が長ければ長いほど頭がイカれてきて最終的に、ファン同士による
「自分がミスチルのことをどれだけ愛しているか」
のマウントの取り合いになることがあります。いかに自分がミスチルを聴き込んでいるかのアピール合戦。「にわかは語るな」「にわかは帰れ」なのです。
そして、そんなファン同士が付き合うと完全に終わります。当時なによりもミスチルにハマっていた僕らは「ミスチル以外はウンコ」という考えが頭の中を侵食し、音楽はほぼミスチルしか聴かないのはもちろんのこと、例えば2人で音楽番組を観ていて他のミュージシャンの曲を聴けば「これミスチルっぽくない?」は当たり前で「歌い方桜井さん意識しすぎ」「このフレーズ絶対パクリでしょ」「ただの劣化ミスチル」と、テレビ画面割れるんじゃねぇかというくらい汚い言葉を撒き散らし、二人とも黒目だけになってました。
でも、当時は好きなものも嫌いなものも共通している彼女と一緒にいるのは本当に楽しかったですし、恋は盲目といいますか「彼女とミスチルだけあればいい」くらいに思っていた時期だったので、その行為がおかしいとはまったく思いませんでした。
しかし、そんな彼女と別れるキッカケになったのもやっぱりミスチル。そう、冒頭でも書いた「ミスチル愛のマウント合戦」はたとえ恋人同士だろうが関係ありません。目が合った瞬間、命の殺り合いが始まりました。
ひとくくりに「Mr.Children」と言っても、長年活動を続けているとファンそれぞれに確固たる「一番好きなミスチル」というものがあり、例えば俺はアルバム『Atomic Heart〜深海』の時期のヒット曲を連発し他を寄せ付けなかった時期の「尖ったミスチル」が好きだったのに対し、彼女はアルバム『HOME〜SUPERMARKET FANTASY』の辺りの桜井和寿自身もトゲがずいぶんと抜けて音を楽しむ、ファンとの一体感を大事にする、いわゆる「優しいミスチル」が好きでした。
分かり合えない者は傷つけ合うしかない。俺たちは互いを認め合うことができなかったのです。最初は、
俺「Atomic Heartからミスチルは一気に殻を破った感じがする。とにかく一曲一曲の厚みがハンパじゃない。歌詞もそれまでの爽やか路線一辺倒だったのが一気に社会への皮肉の効いたメッセージ性の強いものも増えてきてその変遷もすごく面白い」
彼女「HOMEでまたひとつ上のステージに行ったよね。国民的バンドと呼ばれるようになって、その重たい看板を背負うことの覚悟みたいなものがこのアルバムにすごく感じる」
とか評論家ぶって互いが思う「この時期のミスチルのここがスゴい!」を言い合っていたのですが、なぜか「この時期のミスチルのここがクソ」に代わり、彼女の「ミスチルの暗い曲は聴いててダルすぎ」の一言から着火、俺も返す刀で「最近のミスチルはヌルい」と真正面からの殴り合い。どちらもミスチル、どちらも素晴らしい。それはわかっていたのに止まらないミスチルに対する罵詈雑言、最終的にミスチルそのものにかかる風評被害、
「あの時のミスチルはコバタケの操り人形」
「2017年の桜井さんの前髪スカスカ」
「ファン以外で他の3人の名前言える奴0人」
そしてそれはお互いの不満のぶつけ合いに変わり、
「持ってる服全部ダサい」
「歯並びガタガタ」
「話長いくせにつまんない」
「ヒザ超汚ねぇ」
「もういい!普通にキモいんだよ!死ね!」
…そのまま彼女は家を飛び出し、俺もそれを追いかけることはしなかった。それから彼女と会うことは二度とありませんでした。
…いまもし、付き合っている人が同じバンドのファンだったなら俺たちのようにはなってほしくない。
…別に良かったんです、昔のミスチルが好きでも、今のミスチルが嫌いでも。ファン歴20年だろうが、1年未満だろうが、どっちが上とか偉いとかじゃないんです。いつもミスチルが歌ってたのに。「ひとつにならなくていいよ、認めあうことができるから。それで素晴らしい」って。いや、
「ひとッッつになァァらなくていいよォォォ〜〜〜ォゥん!!んゥゔゥんあァンッ!!みッッとめあうことができィィイるからァアーーーッ!!それェですばらしいぃぃィ……」
…という曲です。お聴きください…Mr.Childrenで『掌』