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死ぬ間際に見る夢に出てくる新曲ポルノグラフィティ『Zombies are standing out』感想

ポルノグラフィティの夢見ると思うんですけど、俺がよく見るのは小せぇライブハウスにイスが一脚だけ置いてある場所に客は俺一人で、座ってたら当然みたいな顔してポルノの二人が出てきて、一言も喋んないでいきなり曲演奏し始めるんですけど、まったく聴いたことがない曲で、それは「俺の中にいる架空のポルノグラフィティが作り出した架空の新曲」で、それがもうゲロ吐くほどカッコ良くて、ボロボロと涙流しながら目を覚ますんですよ。でもその曲がどんな曲なのか、どういうメロディでどういう歌詞なのか、いくら考えてもまったく思い出せなかったんですが、

www.youtube.com

 

これでした。全ポルノグラフィティファンが死ぬ間際に見る夢に出てくる新曲、ポルノ史上最強にして最凶『Zombies are standing out』でした。

まず、単純に「音がめちゃめちゃ良い」。音楽は本来、耳の左右からしか聴こえないはずなのに、この曲に関しては前後左右上下斜め、360°全方向から聴こえてきます。いやむしろ「耳」ってパーツ介さずに直で脳髄に音入れられてる感じするし、極端に言っちゃえば音の立体感、奥行きがすごくて音掴めるしなんなら食えます。全身で音を味わう「食う音楽」を体験できる。異常な立体感でイヤホン着けてるとこから頭溶ける。

イントロの激ヤバデスボイス「ウ゛ァ゛ンディ゛ンア゛ァッ…ク゛ラ゛ァイ゛ンア゛ッ…」からのバッキバキでキレッキレのギター「ドゥデェゲレデェゲレレドゥデェレゲデェレデレェ」からの最近のポルノグラフィティお気にのオシャレ打ち込みドラム「デデデデデデェーーーーー!」なんらかの音「シュゥゥゥゥイイイイーーーー!」からの、岡野昭仁の

「ゾ」

この「ゾ」聴いた瞬間その日から「ゾ」って言うのやめました。「今まで俺の言ってきた『ゾ』はいったいなんだったんだ…」って泣きましたし、こんな「ゾ」を言える昭仁の才能に心の底から恐怖しました。俺が野原しんのすけだったらその場で「みさえーーーーっ!」つって爆発して死んでる。

そのくらい『Zombies are standing out』における昭仁の歌声は別格で、今までもリアル・ソング・モンスターだったのに更に拍車かかってる。ラスサビの「立ち上がれ Living dead」の「リ゛ィ」とか「夢見た日を」の「ぅぉをォーーーーー!!」、ただの鬼。

今回の作曲は昭仁本人がやってるんですが、岡野昭仁という男は「ハイパードM三角木馬ボーカリスト」で、誰も頼んでないのに自分で「誰が歌えんだよこんなん」って曲作って嬉しそうな顔しながら「やりすぎたテヘ♡」みたいなことを平然と言う変態なんですが、一つ前のシングル『ブレス』も、絶対ファルセットとか苦手なタイプのボーカリストのはずなのに「それェーーー!(裏声)ぞれの、みちィーーーー!(裏声)がある!」とかウラゴエ・バケツ・チャレンジやってんの?ひと裏声ごとにバケツの水かぶるやつやってる?ってくらい意味わかんないタイミングのファルセットブチ込んだりとか、他にもグニャッグニャにメロディの高低差激しい曲『瞳の奥をのぞかせて』やら、スピードバカ速の息継ぎゼロ曲『真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ』やら、マゾストイックすぎてもう普通の曲じゃ満足できないんだと思う。しかも、大半の歌詞書いてる新藤晴一も大概で「お前ならこのメロディにこの歌詞当ててもこれくらい歌えんだろ?」って平気でメロディに対してめちゃくちゃな譜割りする。

そんなデスマーチを経て今回持ってきたのがこの曲で、一言で言えば「岡野昭仁にとって最高に歌いやすい曲」でした。声の乗り方が明らかに今までの曲と段違いで歌いながら昇天するんじゃねぇかと思うほどに気持ち良さそうに歌ってる。音程、テンポ、譜割り、どれを取っても「岡野昭仁に歌われるために生まれた曲」としか思えない。

そして歌詞。本人が、「イントロのボイスエフェクト(当初はもう少し音程が高かった)から着想して書いた」「曲としてもスリリングでシリアスなテーマが合うけど『ゾンビ』がホラーでもあるしポップでもあるちょうどいいキャラクターだった」的なことを言っていたように、元々曲のイメージからそれに合う詞をつけていくタイプの作詞家なんですけど今回、詞の内容、単語、すべてにおいて親和性カンストしてる。「現実という名のBulletに撃ち抜かれた」筆頭に、いつにも増して「このメロディにはこのフレーズしかない」っていうのをバチバチ当ててくる。

新藤晴一の歌詞は、初期の頃はどちらかといえば「文章としても読める歌詞」みたいなものを重視してるような印象があったんですが、最近の手法として「日本語詞と英語詞を絶妙に混ぜる」ってのを多用してて、歌詞掲載サイトのインタビューの、

「(良い歌詞とは?)メロに乗った時に、映える言葉。文学ではないので言葉単体で成り立っていてもしょうがないと思います。」

「(「やられた!」と思わされた1曲)『太陽は罪な奴」(サザン)。“高気圧はVenus達の交差点”、文章の意味とかじゃなく、メロと共に頭にスッと入ってくる。これが歌詞だと思います」

歌ネット:言葉の達人/新藤晴一さん

のコメントからもわかるように、言葉の意味だとか、歌詞カードに文字が並んだときの美しさだけじゃなく「歌詞」としてより洗練できるかみたいなのを考えてる感がめちゃくちゃあって、メロディに乗ったときに、岡野昭仁が歌ったときに、はじめて言語レベルじゃなくて本能レベルで理解できるような言葉選びしてて、「慈悲なき闇で War cry」とか正直1ミリも意味分かんないんですが「わかる…」ってなる。なにより昭仁に「これを歌わせた新藤晴一の功績。俺が天皇だったら絶対次の元号「晴一」にしてる。

このポルノグラフィティ2人のプロ中のプロの仕事だけでも十分に最高傑作なんですけど、今回はアレンジも最強にバケモン。YouTube公開されてる部分1番までの展開はソリッドというかわりとシンプルなデジロックだったのが、2番入った瞬間バグるんですよ。エコーのイジり方が一瞬壊れたんじゃねぇかって思うくらいの不協和音で「頭が割れそうに痛む」でコーラスがボーカル追い抜かしてくる。

そこから曲の雰囲気が一段と変わって「怒り」とか「憎しみ」っていうただただ攻撃的なイメージの曲だったのが「切なさ」とか「悲しみ」みたいな感情も内包されて激しくて荒々しいんだけどめちゃくちゃグッとくる。『Zombies are standing out』はゴリッゴリのロックナンバーなんですけど、この壮大さ、バラード以上にバラードでした。その流れでCメロ→ギタソロ間奏→大サビに行くんですが、最終的にはもはや「聖歌」

極めつけは「無音」の使い方の上手さ。序盤でも書いた岡野昭仁が放つ宇宙一の「ゾ」、頭サビ、1番サビ、2番サビ、「ゾ」の一瞬で全ての音が消えます。「無音を制するものは音楽を制する」という有名な言葉があるんですが完全にポルノグラフィティのために作られた言葉。

 

ちなみに「ポルノ ゾンビ」で検索かけると

「性的映像を見続けると脳がダメージを受けて「ポル脳」になり脳が収縮し中毒化し、常に新しい刺激的な映像を求めるゾンビ状態「ポルノ・ゾンビ」になる」

みたいな地獄記事が出てくるんですが、あながち間違いじゃなく『Zombies are standing out』を聴けばポルノグラフィティの音楽を求め続ける「ポルノ・ゾンビ」になる。死して生きろリビングデッド共。