「映画館は昼に見るもの」だとずっと思ってたんですけど、生まれてはじめて平日の夜に映画を見る「レイトショー」なるものに行ったら最高すぎて絶頂した。完全に価値観変わった。
まず「人がいねぇ」
ほんとに今から映画見れんの…?って疑うくらい昼と比べてガラガラでチケット買うとき怖くてしょうがなかった。受付の顔なんて気抜けて半分死んでるしよ。そして料金のバグ。や、安!?なんで昼より500円も安いの?マジで合法?闇の映画館かここ?
そして決定的に違うのは観客たちの「目」。全員の目がバッキバキにキマってるんですけど…これからこのメンバーで殺し合い始まんの?みたいな雰囲気出してて、ジャングルの騒がしさの昼の映画館からは考えられん静寂。映画館っていうかほぼ寺。これからエンタメ楽しもうって奴らのテンションじゃねぇ「坐禅」のテンション。
正直マジで居心地悪くて映画観ないで帰りたくなったんですけど、最初は昼のテンションでギャグ漫画顔でヘラヘラしてた俺も、他の観客の「映画とは作品と俺たち観客との勝負」と言わんばかりの目つきに当てられて、シアタールームに入るころには劇画タッチになってた。なんだこれは
…観客は自分を含めてわずか5人
全身黒ずくめでサングラスをかけたエージェントのような男性、彫刻のように美しい佇まいの女性、殺し屋のように冷たい目をした青年、映画仙人のような老人、そして猫背の俺…
「戦士」
まぎれもなく戦場におもむく戦士だった。「映画」という楽園を目指し進むシネマソルジャーたちがそこにはいた。年齢も、生い立ちも、育った環境も、なにもかもが違う5人が「一本の映画を観る」という共通の目的のために集まっていた。「俺たちを映画化しろ…」とすら思った。
そもそも…考えてみれば、平日のこんな夜に映画館に行く人間は明らかに普通じゃない。きっと誰もが心に闇を抱え、カルマを背負い、逃げるようにしてこの場に迷い込んだに違いない。俺もそうだ…(会うはずだった人にドタキャンされてマジでやることなくなったから来た)
そして、その極限状態からなのか、昼の映画館とは「集中力」がまるで違った。いや、自宅ですらこんなに画面に集中したことはねぇ。レイトショーで映画を観るという行為はもはや映画と観客との「死合」だった。
本編前に流れる新作映画予告も違う。少女漫画原作の100万回やりつくされたコテコテ恋愛モノも、小説原作の「あなたはすでに騙されている!」系の安いサスペンスも、1回も見てないテレビドラマの映画化も、予告ですでに滑り倒してるコメディ映画も、趣旨のよくわからんアニメ映画も、すべてが「歴史に残る超大作」に感じた。絶対全部見に行こうと誓った。そして「NO MORE 映画泥棒」…思えば、こんなにも集中して「NO MORE 映画泥棒」を観たことなんてなかった。はじめて映画泥棒の顔をちゃんと見たかもしれない。映画泥棒はとてもクールな顔つきをしていた。「アイツってこんな顔できるんだ…知らなかった…」と自分の気持ちに素直になれない映画泥棒の幼なじみになった。
本編が始まってもそれは変わらなかった。上映中、作品から出る音以外を感じることは一度たりともなかった。
女「ねェ〜今のってどういうことォ…?」男「たぶんこれからアイツ死ぬぜェ…」ベラベラと口縫い付けたろかバカップルも、暗いシリアスなシーンでポップコーン「ャクゥ…シャクゥ…シャクゥ……」口ん中に石詰めたろか男も、「ラインッッッ!!!ラインッッッ!!!ララララッッrrrrラインッッッッ!!」スマホぶち壊したろか女もここには存在しない…こ、ここが「真」の映画館…?
当然エンドロールで席を立つ人間も誰ひとりとしていなかった…全員が余韻という名の極上風呂に浸かっていた…
上映終了後…皆どこか晴れやかな目をしていた…お互いがお互いを讃え合うような、祝福するような、そんな空気がシアタールームを包んでいた。日々の辛い出来事など、どこかへ消え去っていた。
こんなにも映画というものに没入したことはなかった。これが「作品に入り込む」ことなのかと、自分が映画に出演している気にすらなった。はじめて「本当の映画を観た」と思った。「見る」ではなく「観る」であり「視る」だった。そして同時に、なぜ今まで誰もレイトショーの素晴らしさを教えてくれなかったのかと己の運命を呪い、泣いた。
…「充実」「最高」…そんな言葉が心を満たした帰り道…終電に乗りながら、思いました。
観た映画死ぬほど面白くねぇ