「プロメアとセーラームーンR好きだったら少女☆歌劇 レヴュースタァライト絶対に観ろオラ」と言われたので、騙されたと思ってAmazonプライムビデオで劇場版を観ました。騙された。
テレビシリーズはおろか、映画の予告すらいっさい触れずに観たんですが「歌劇少女」のタイトルどおり、舞台役者を目指す女の子たちの話だとなんとなく予想してました。なので、当然こっちとしては『かげきしょうじょ!!』のような爽やかな王道アニメを想像するじゃないですか。
『バトル・ロワイヤル』じゃねぇか
始まっていきなり、砂漠の中でトマトが爆発して、それでキリンが日本語で奇声発して、2人の女の子がなんか喋ってると思ったら、東京タワーがブッ壊れました。
そのままタイトルロゴが出て、アレが現実の話なのか、それとも精神世界、心の中に思い描いた妄想の話なのかいっさい説明がされないまま、何事もなかったかのように学校の話がスタートしました。制作陣イカレてるのかと思った。
それで過去の回想シーンとか入って、しばらくメインキャラクターっぽいキャラたちの話が滞りなく進むので、
「あっ、アア〜〜〜ッ!や、やっぱあれは精神世界の話で冒頭だけああいう衝撃的なシーンを見せることで観客を引きつけようとしてるってことねあーはいはい、なるほどなるほどまあ別によくある手法ですよねそういう映画ねはいはいはい概ねわかりましたはいはいはいはい」
と脳内で必死にマウント取りながら、彼女たちの青春模様を楽しんで観てたら、いつのまにか電車のシーンになってて、女の子たちが乗ってんなー、帰り道かな?みんなでマックでも寄るのかな?とかボンヤリ思ってたら、
電車が真っ二つになり、
キリンが渋谷のド真ん中で「ワイルドスクリーンバロック!」とかわからん呪文唱えはじめ、
「皆殺しのレヴュー」と文字が出、
女の子たちが一人の女の子に剣で皆殺しにされました。
なんですかこれは。え?宝塚とかの話では??おい、説明しろ、なんだこれ。どこまでが現実でどこまでが非現実?ずっと何が起きてんの?早く説明をしろ。あの頭にバナナ乗せた女はなんだ、桐山和雄の女体化?
まず、ずっと出てくる気持ちの悪いキリン(CV:津田健次郎)について説明しろ。アイツだけ世界観が違いすぎるだろ。普通ああいうポジションのキャラはかわいらしい黒いネコかピンクのブタか白いイタチだろ。「妙にリアルのキモいキリン」は完全にサイコの発想。
あのキリンが女の子たちの脳内に棲くうモチーフとしての偶像なのか、このアニメの世界では当然のように実在する「マジの喋るキリン」なのか、それだけでいいから誰か教えてくれ。なにあいつ?なんでキリンの声を津田健次郎のイケメンボイスにする必要があるんだよ。『レヴュースタァライト』じゃなくて『極麒麟道』じゃねぇかよ。
分からねえ…なにが起きてるのかいっさい分からねえ…そこからは「賭場」「オリンピック」など、いっさい脈絡が無い演出で少女たちの「レヴュー」が続き、理解が追いつかなさすぎて観ている俺の首から上が映画『模倣犯』の中居君のように吹き飛びそうになった。
冒頭でも書いたとおり、テレビシリーズを1ミリも観てないので、このアニメにおけるこの演出が平常運転なのか、映画だから気合い入れすぎてバグったのか、それすら不明。仮に夢とか妄想だったとしたら普通「ハッ……!(目パチッ!)」ってシーンがあるだろ、なんでそれを全排除してシームレスでエンドレス白昼夢やってんだよ。
しかも、キリンの言う「ワイルドスクリーンバロック」が本当に精神世界の出来事だとしたら、結局この映画って「ほぼ何も起きてない」んですよ。
『かげきしょうじょ!!』で描かれる『ロミオとジュリエット』のような実在の演劇じゃなく、いやなんかモチーフがあるのかもしれないんですが、基本オリジナルの「即興劇」で「独白」しかやってねえ。例えるなら、2時間「他人の脳みその中身」を見せられるだけ。終盤は『ザ・ノンフィクション』かと思った。
しかも、客として演者を観てるだけなら絶対に覗けない裏の一面、可愛くて綺麗で理路整然で完璧な「偶像」じゃない、醜くて弱くて支離滅裂で不完全な「人間」の部分を容赦なく誇張まみれで「舞台」として見せてくる。
しかもこれをアニメ映画でなんの助走もなく見せられる、例えるなら目隠しされていきなりジェットコースター乗せられたようなもの。そして一番の恐怖は、なにもわからないのに「面白い」こと。
一回観たくらいじゃキャラクターの名前すらロクに覚えられてないのにも関わらず「かわいい女の子がめちゃくちゃ頑張ってる」という観てる人間全員が認識できる唯一にして圧倒的な事実と、五感を焼き尽くすためだけに構成された絵と音と情報量の多さで、1ミリもレヴュースタァライトを知らない俺ですら、キャラクターの一挙手一投足に「(なんかよく分からんけど)分かる…」と思わされてしまう。
それを象徴してるシーンが中盤、例のキリンが急に全身が野菜でできたアルティメットキショキショキリンになり、
「あなた達が演じる終わりの続き…わがままで欲張りな観客が望む新しい舞台…そう…あなた達のせいですよ…普通の喜び…女の子の楽しみを捨て演じ続ける運命…あまりにも美しくどうしようもなく惹きつけられてしまうきらめき…舞台少女…ですが…どんなものにも燃料は必要…私はあなた達の糧…燃料…!近づけば燃えてしまうほどの熱…!危険ですねぇ…!舞台少女とは…!危険だからあなた達は…!!!!美しい……」
とか言いながら全身火ダルマで空から落下するシーンがあるんですけど、最初は意味が分からなすぎて怖くて漏らしそうになりましたが、やっと分かりました。あの気持ち悪いキリンは「俺」だった。
この作品における「キリン」とはこれを観ている俺。誰かを応援し、誰かを推すことでしか生きられない愚かな人間の具現化。普通の喜び…楽しみを捨て演じ続ける運命にあるスタァを憐れみながら心から楽しんでいるのが俺であり、あのキリン。それを思い知った時、あまりの衝撃に心のゲロを吐いた。
そして、この映画があえて舞台少女の脳みその中、裏の部分を表として見せた意味…彼女たちが食べるトマト…あの赤色、それは一瞬のきらめきであり、歌劇に命を捧げるという覚悟、そしてその呪縛からの解放、それすなわち
…いや、ここで答え出すのはまだ早い…まずはテレビシリーズ全話観てそれからじっくり考えることにします。とりあえず俺は花柳香子に踏まれる土になれればそれでいい。
以上「おじさん☆歌劇 レヴュー一般人ダーク」でした。