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ミクスチャーブログ

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漫画『さよなら絵梨』のこと考えてたら体調崩した

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藤本タツキの漫画『さよなら絵梨』のこと考えてたら体調崩しました。

面白いとかつまらない以前に「漫画の中でドキュメンタリー風映画を撮る」というわけわからん構造で、強制的に「どこまでが現実でどこまでが嘘か?」を考えさせられ脳がキャパオーバーしてなんか普通に知恵熱出た。

で、これ以上は精神崩壊するので自分の中で「全部嘘」ということで無理やり納得しました。「1ページ目から最終ページまで全部そういう映画だった」と。

 

読者にネタバラシすることなく「劇中劇の中の劇中劇の中の劇中劇の中の劇中劇の中の劇中劇の中の劇中劇…」を延々とやってるだけ。実際は、優太も絵梨も母親も父親も、別に家族でも恋人でも友達でもなんでもないし、そもそもそんな人間はこの漫画の世界に存在しない。

役名「優太」「絵梨」を与えられたどこぞの「役者」が演じているキャラクターで、セリフも動きも全部台本で定められていて、優太がずっとスマホ片手に撮っているのもそういう演出。

そして、映画そのものがストーリーの時系列ごとに撮影をしているわけじゃないように『さよなら絵梨』も、おそらく実際の撮影時期はバラバラ。数十年後の優太の姿がめちゃくちゃ父親に似てるのも、実際に「優太の父親役の役者」が一人二役で絵梨のシーンを撮影して、その後に優太の父親役の役者は髪を切り髭を生やし、冒頭の誕生日のシーンを撮ったと言える。

同じロケ場所の撮影シーンは続けて撮るのが普通なので、長年のドキュメンタリーだと思われた親子3人のシーンも、文化祭のシーンも、絵梨とのシーンも実は数日で一気に撮られたと。むしろこの映画そのものが数週間ないし数ヶ月で撮られたもの。我々はそれを観させられてる観客。

 

ということは絶対クランクアップ後の夜にスタッフ出演者全員で打ち上げ行って叙々苑食ってますし、優太役の菅田将暉はスタッフに「菅田将暉さん!オールアップで〜〜す!!」とか言われてデカい花束渡されてますし、一夜限りのオールナイトニッポン復活で撮影裏話しますし、絵梨役の小松菜奈は撮影の空き時間にルービックキューブにハマってたことを後日TOKIOカケルで明かしますし、優太の父親役の松重豊は意外とNG連発してたことをVS魂でイジられますし、優太の母親役の吉田羊は撮影外ではムードメーカーだったことを映画.comのインタビューで監督から褒められる。

主題歌はミスチルかラッドですし、映画ポスターは出演者の顔がブロッコリーみたいに並んでますし、予告CMで試写会行った観客に感想聞いて「衝撃のラストでした…」「こんな映画観たこと無いです…」「涙が止まりません…」とか言わせますし、最後に全員で「この夏は!?さよなら絵梨〜〜!!」とか叫びますし、CMのナレーションは絶対に山寺宏一。

主人公は「一応」優太になってますが、あくまで優太という存在は「いちキャスト」でしかない。すなわち、その裏で全てを操り『さよなら絵梨』という映画を撮影した「さよなら絵梨製作委員会」こそがこの漫画の「真の主人公」だと…

 

…みたいなことずっと考えてたんですが、この時間…マジで何?

『さよなら絵梨』というか藤本タツキの最も狂ってるところは、どれだけその作品ことを考えても永遠に答えは出してくれないし、仮に出たとてどうしようもないところだと思うんですよ。それこそ「どこまでが計算でどこまでが天然か?」1ミリも分からない怪漫画。どれだけもっともらしいこと言っても妄想で自己満の域から出られない、考察厨すべてを灰にする悪魔の書。

『ファイアパンチ』『チェンソーマン』でさんざん体験したとおり基本的に伏線なんて回収されないと思ったほうが良いですし、回収されても理解できずちいかわみたいにアワアワするだけ。フェルマーの最終定理解いてるようなもんなのに「どうしてもなんか言いたくなる」ヤバい魔力が藤本タツキの漫画にはある。

『さよなら絵梨』も理不尽な死描いてシリアス装ってますけど、ボボボーボ・ボーボボ、すごいよ!!マサルさん、浦安鉄筋家族を真面目に考察するのと同じくらい無意味。優太よろしく

面白エエェェ〜〜!!ボガァアアアアアアアアアアアアアア〜〜〜〜〜ン!!!!!!

と、爆発させて全部忘れるのが健康上一番いい。さよならタツキ。

助詞でわかる!「星野源」歌詞講座

www.kansou-blog.jp

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私ほど長く星野源をやっていると、もはや顔や声だけでなく「文字」を見ただけで星野源かどうかわかるようになります。

私がもし、デスゲームの主催者になり日本中のミュージシャンと作詞家を全員集めて

「私をテーマに歌詞を書いてください」

と命令できる場合、誰がなにを書いたのかわからない状態で提示されても一発で「これは星野源が書いた私」と当てられる自信がある。おそらく最初のワンフレーズの時点でわかる、それほどに星野源の歌詞には名前が書いてあると言っても過言ではありません。

星野源の歌詞において唯一性、変態性が色濃く出ているのが「助詞」、いわゆる「てにをは」です。星野源が操る助詞を学べばあなたも星野源の一部になることができます。

(ここでは分かりやすく「助詞野源」とさせていただくことをご了承下さい)

『助詞でわかる!「星野源」歌詞講座』、それではやっていきましょう。

 

「に」

助詞野源の「に」は曖昧なものにハッキリと輪郭を与えます。

くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる/くだらないの中に

間違う隙間に 愛は流れてる/Pair Dancer

「くだらない」「間違う隙間」どちらも「愛」を語るにしては矛盾とも言える言葉です。それらを繋ぐ助詞を「で」や「から」ではなく「に」とすることで主語が愛ではななく「くだらない」「間違う隙間」になりその矛盾が逆転します。奥底にあるフワッとしていたものが形作られる感覚になり、「言ってることよくわからんけど…そうだよな!」と歌詞に恐ろしいまでの説得力を与えます。

また『くだらないの中に』の「人は笑うように生きる」は、普文章の意味だけを考えれば「人は笑い”ながら”生きる」のほうが通じるでしょう。

しかし「笑うように」と直喩を用いて、生きる→笑うではなく、笑う→生きる、生きているから笑うのではなく、笑うからこそ生きる、つまりただ生きているだけでは笑えるような楽しいことも嬉しいことも起きない、でも笑うように生きていればなにか変わるかもしれないという願いを込めていると感じました。私はこのフレーズは聴くたびに、彼が歌う「クソみたいな世の中」に対する「抗い」すら感じるのです。

エッセイ『よみがえる変態』のあとがきで助詞野源はこう綴っています。

世間を面白くするには、世間を面白くしようとするのではなく、ただ自分が面白いと思うことを黙々とやっていくしかないのだと。 

私もウンコしてウォッシュレットを使うんじゃなく、ウォッシュレットを使うためにウンコをしています。

 

「を」 

助詞野源の「を」は、その対象の当たり前を当たり前にしません。

夫婦を超えてゆけ/ 恋

数ある楽曲の中でもっとも代表的とも言えるこのフレーズ。初めてこのフレーズを聴いたとき、どんな感想より先に

「を!!?!??!?」

と叫びながらゲロを吐きました。「夫婦」と「越えてゆけ」のあいだに「を」を入れる作詞家が日本で何人いるでしょうか。

普通であれば、これから起こりうる困難や悲しみを夫と妻で越えていく意味を込め「夫婦”で”超えてゆけ」というフレーズにするでしょう。しかし助詞野源は夫婦そのものを「超えるべき対象」と捉え、夫婦だけじゃない多種多様な恋愛スタイルを全て肯定します。ゆえに「夫婦”を”超えてゆけ」なのです。

私はこのフレーズを聴いた瞬間「夫婦って超えるものだったのかよ…」とまるで頭に無かった新概念を提示された衝撃で彼が恐ろしくなり、イスから転げ落ち、気がついたら自分自身が星野源になっていました。

他の楽曲でも存分に「を」のトリックは使われています。

二人をいま歩き出す/不思議

「二人”で”いま歩き出す」とするのがセオリー。助詞野源は「人は一人」だとことあるごとに歌っています。人間は一人で生まれ一人で死ぬ。その前提があるからこそ「二人」が特別なものになる。ゆえの「を」なのです。

さよなら 目が覚めたら君を連れて 未来を今 踊る/Week End

これも「未来”で”今 踊る」ではなく「を」とすることで、それぞれの未来を強調しています。最初から2ではない、1と1が重なり2になると常に歌い続けているのです。

 

「も」

助詞野源の「も」は宇宙よりも遠く離れたものを繋ぎます。

遠い場所も繋がっているよ/Family Song

繋がってることがまるで当たり前のような言い回し。たとえ地上にいなかろうが、近かろうが遠かろうが距離、時間、生死すら関係なく想い合えば繋がっているという燦然たる事実が「も」に込められているのです。

飯を食い 糞をして きれいごとも言うよ/ばらばら

「きれいごと”を”言うよ」とせず「飯」「糞」と「きれいごと」を「も」で繋ぐことでかけ離れた言葉と言葉に思えるこれらは実は地続き、同義なのだと我々に突きつけてきます。

 

「は」

助詞野源の「は」は言葉のイメージを大きく変えます。

大人のふりをした 日々は繰り返した/KIDS

「日々”を”繰り返した」ではなく「日々”は”繰り返した」とすることでどこか他人事のイメージを受けます。つまり大人のふりをしている自分に対する違和感、それが「は」に込められているのではないでしょうか。大人のふりをしているのは本当の自分ではない、君といるときの子供になる自分こそ本当の自分なのだと。

日々は動き 今が生まれる/日常

「日々”が”動き 今”は”生まれる」でも成立します。しかし助詞野源は常に「日々」を主語にする。今の中に日々があるのではなく、日々の中に今がある。泣こうが喚こうが今は常に生まれ続け強制的に未来へ進んでいくことを悲観的になるのではなくただただ「事実」として捉えているのです。

僕らは消える愛だ/Snow Men

「僕ら”の”消える愛だ」ではなく「僕ら”は”消える愛だ」とすることで、愛が消えるのが決まっていたかのような、いや、そもそもそこに愛なんかなかったかのような印象を受けます。逆アイフルです。

例えば、生卵が床に落ちれば最悪です。しかし「生卵が床に落ちた」では単なる不注意ですが「生卵は床に落ちた」にすれば生卵が床に落ちるのは最初から決まっていたということになるので自分に責任はありません。

いやむしろ、自分たちこそが「愛」であり、人間は必ず死ぬ。つまり誰しもがいつかは「消える愛」なのだというメッセージなのかもしれません。

「の」を「は」に変えるだけ、たった一文字で曲全体の意味がまるで別のものになるのです。

 

「さ」

助詞野源の「さ」には「未来への願い」が込められていると私は推察します。彼が「だ」でも「わ」でもなく「さ」を使う時、海のように広い「優しさ」を感じるのです。

ふざけた生活はつづくさ/喜劇

いつまでも いつまでも奪えないさ/Ain't Nobody Know

未来なんてどうなるか誰もわからない。どうしようもないクソかもしれないけど、それでも信じてみてもいいんじゃないかという「希望」を強調している。聴く人にとってはある意味で「楽観」とも取れる表現かもしれませんが、この時代を生きていく上でこの「さ」は紛れもなく救いになる。特に『未来』での

一筋の光に 生温い 風の中 スタンドを 蹴り上げる 今日も生まれる未来さ/未来

この部分。この曲はタイトルどおり「今日も生まれる未来」というフレーズが3回出てくるのですが、唯一3回目で「今日も生まれる未来さ」と未来を強調しています。

前2回の歌詞を読むと分かるのは「〜消えていく記憶達」「〜さよならは誰にでも」は、抗うことのできない確定した「過去」に対しての「生まれる未来」という言い切りですが、3回目は「一筋の光に〜スタンドを蹴り上げる」という「不確定な未来」に対して「今日も生まれる未来『さ』」、ここに希望があるのです。

また、全く真逆のシチュエーションにおいても「さ」は使われています。

君を誇る事で 私は生きているって 呆れた本当さ ああなにもないな/Nothing

この一文の唯一と言ってもいい「救い」の部分が「さ」ではないでしょうか。この部分を「呆れた本当だ」にすると次文の「ああ なにもないな」が100%になってしまう。しかし「さ」とすることで、0.000001%の救い、まだ自分では認めたくない、信じていたいという「願い」を感じることができるのです。

私も仕事でヤバいミスをやらかした時や、ギャンブルでアホほど負けている時はいつも「まだ負けてないさ」と自分の中にいる「イマジナリー源」を降臨させ、気持ちを奮い立たせています。

 

 

…このように、星野源の助詞に耳をかたむけて曲を聴き続ければ、いずれ「ミュージシャンの書いた歌詞のひらがなが暗闇の中から一文字ずつ浮かびあがる」という状況においてもすぐに星野源がわかるようになります。

 

さぁ、星野源をいま歩き出しましょう。

 

講座は以上になります、ご精読ありがとうございました。次回は『好きな作品でわかる!星野源FANZA講座』です、ご期待下さい。

星野源に俺の「SPY×FAMILY愛」が負けて悔しくて泣いた

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悔しくて泣いた

「古参アピキモい」と言われるの承知で言いますが、SPY×FAMILYに関してはたぶん俺が日本で一番最初に「面白い」って言ったと思う連載開始直後に速攻で3000字の恥文をネットの海に放流したし毎週月曜日は0時00分になった瞬間にジャンプ+開いて光の速さでSPY×FAMILY読みに行くし毎年連載開始日には赤飯炊いてケーキ買って一人で祝ってるしなんかあったら俺がアーニャを養子に迎える準備はいつでもできてる。

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その時からアニメ化するなら制作はどこだ声優は誰だ放送枠はいつだ主題歌は…って毎日妄想に妄想膨らましてた。で、蓋開けてみたら

 

エンディング曲「星野源」

 

マジでいい加減にしろ。俺の歩く先に常に星野源が立ってる。どういうつもりだ?え?俺が悪いの?俺が星野源の未来に導かれてるだけ?

この「ハマったコンテンツに必ず星野源が居る」という狂った状況はもう諦めてるんですが、なにが腹勃つって星野源がそこで出す曲出す曲全てが俺にとって「満点」ってことなんですよ。

「ぐうの音も出ねぇ」とはまさにこのこと、別に俺と星野源は友達でも知り合いでもなんでもないですし、このブログは別にファンブログじゃありませんし、絶対褒めなきゃいけない決まりなんてどこにもない、嫌いな曲出たら文句のひとつやふたつ言ってやろうかと思うんですが……毎回貶すとこ、マジで一個もねぇ。新曲聴くたびにだらしなくヨダレたらしながら「すいませんでしたァん♡」とアヘるだけの人生。なんですかこれは。

今回も例に漏れず、俺が3000字かけても出し切れなかった感情をたった数百文字の言葉、数分の曲、いやタイトルの二文字で全て表現しやがりました。

『喜劇』この言葉がどれだけSPY×FAMILYを表してるのか、俺は痛いくらいに分かってしまう。骨の髄まで作品を理解してないと「喜劇」というタイトルとこの歌詞は絶対に出てこない。

フォージャー家の関係含め、SPY×FAMILYは完全に「喜劇」。基本的にみんな良い意味でめちゃくちゃ「バカ」で、アーニャはシンプルバカだし、ヨルは天然バカだし、ロイドは賢いふりしたバカ、世界観もよく見るとなにからなにまでオールバカ、でもそのバカが最高に愛おしくて全員抱きしめたくなる。

アクションもシリアスも感動もありますが、やってることはサザエ、まる子、しんのすけ、ドラと同じ、どこまでもギャグでコメディ。本来ならば深夜23時じゃなく土日18時からやるべき作品。その真面目とふざけの緩急が絶妙で不意にブチ込まれる「些細な日常の幸せ」が何億倍にも何兆倍にも膨れ上がる…これを「喜劇」と呼ばずなんと言う?

負けた。俺が2年かけて育んできたSPY×FAMILY愛が星野源のSPY×FAMILY愛に完全に負けた。悔しくて泣いた。

 

そして星野源は絶対に「星野源」を表現することを妥協しない。タイアップであっても、作品にばかり寄るんじゃなく自分の感情と折り合いをつけながら作品との共通点を探す、互いの良さが増す相乗効果。これ以上ない理想的なタイアップの在り方を体現する。

『喜劇』はおそらく今までの星野源のどの曲よりも「星野源を感じる初速」が速い。これは星野源のトンカツ。

争い合って壊れかかった

このお茶目な星で

開始数秒にしてすでにどっからどう聴いても星野源でしかなかった。「争い合って」「壊れかかった」に「お茶目」を合わせる言語感覚。両手両足縛られて両耳塞がれた状態でランダムに1万人が即興で書いた歌詞からひとつ見せられて「これは誰の書いた歌詞か答えろ」って言われても0.1秒で「星野源」と答えられる。

この歌詞は「星野源です 星野源です 星野源で〜す!」と歌ってるのと同じ。にも関わらず、ここまで星野源を出しても「SPY×FAMILYのエンディング曲」として完璧な出来。バラードという体裁を取りっているが中身は「ファンク」そのもの。複雑怪奇なメロディでキャッチーさと中毒性を両立させ、一筋縄ではいかないフォージャー家の関係、そしてSPY×FAMILYはただの感動アニメじゃなくあくまでひたすらに「楽しい物語」だというのを理解した上で脳から踊れる曲にしてる。

その上で歌詞は「君」「あなた」を使い分けて単に1対1じゃない「家族それぞれ」の心情を一曲の中で同時に描こうとしているし、

零れ落ちた 先で出会った

ただ秘密を抱え 

普通のふりをした あなたと

探し諦めた

私の居場所は作るものだった

特にこの一文、俺の「ちち」としての感情がグチャグチャになって吐いた。俺がフォージャーだった。「アーニャ愛してる…」とか言いようがない。しかも、ただキャラの心情やストーリーをなぞってるだけじゃなく明らかに「その先」を描いていて

 

ふざけた生活はつづくさ

 

俺はSPY×FAMILYを読みながら、頭のどっかでフォージャー家の生活が「終わる」んじゃないかと思ってた…仮初めで嘘の家族にはいつか終わりが来ると。

だが星野源は「つづくさ」と言い切った。きっとフォージャー家の愉快で楽しいふざけた生活はいつまでもつづくと。俺はSPY×FAMILY愛が星野源に負けたと思っていた。でも違った、勝ちとか負けとかじゃない、ただ信じる、この物語が続くことを一緒に信じること…そう…俺と星野源はもう同じ作品を愛する「FAMILY」だったのだ。

 

つづく…つづくって信じていいんですか源さん……?源さん…ありが

 

 

…なにが「げんおにいさん」だ……?アーニャに「おにいさん」呼びされる星野源マジで許せねぇ

喜劇

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配信でなんでも見れるからなにも見れない

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2022年4月時点Amazonプライムビデオのウォッチリスト「401件」

 

バカなの?

 

あの!観たかったアニメシリーズが全話一挙見放題!!

あの!過去の名作ドラマが全話一挙見放題!!

あの!大ヒット漫画が全巻一挙読み放題!!

あの!人気バンドのシングルアルバム全曲一挙聴き放題!

 

うるさいうるさいだまれだまれ。なにかって言いやあ狂ったみたいに見放題見放題見放題配信配信配信マジでいい加減にしろよ。「あの!」じゃねぇよ。どのだ?なにが「一挙」だ?手ぇ挙げすぎて千手観音みたいになってんだよ。完全に殺す気だろ。配信とは俺にとってもはや犯罪。ベッドの中で毎日ブルブル震えてるわ「こんなに色々観たら脳がキャパオーバーで爆発して『コンテンツ死』しちゃう…」ってな。

そもそもクソも観れてねぇし読めてねぇし聴けてねぇしな。Netflix、Amazonプライム、Abema、U-NEXT、Hulu、FOD、Spotify、少年ジャンプ+、radiko…アホみたいな量のサブスク登録してますけど金額に見合っただけコンテンツ観れてんのかって言われたら0.000001%も堪能できてませんわ。絶賛ドブに金捨て中。

 

「え!?FODの過去ドラマのラインナップエグっ!古畑任三郎も振り返れば奴がいるも王様のレストランも踊る大捜査線もナースのお仕事もショムニも救命病棟24時も医龍もGTOも見れんの!?アニメもONE PIECEも鋼の錬金術師もドラゴンボールもるろうに剣心もらんま1/2もめぞん一刻も幽☆遊☆白書も全部!?よし!時間あるときに絶対観よ…!」

「Huluのバラエティ番組の充実っぷりヤバ!有吉の壁しゃべくり太田上田ゴッドタン全部あるんですけど!?最近だと金田一少年のドラマも観れるの!?よし!時間あるときに絶対観よ…!」

「U-NEXTの音楽ライブの充実っぷり怖っ!GLAYとか宇多田とか三浦大知とかback numberにミスチルのライブまで……しかも他のサブスクでなかった花束みたいな恋をしたとかよし!時間あるときに絶対観よ…!」

「Netflixオリジナル作品最強か!?ドラマもアニメもヤベェ…浅草キッドにイカゲームにトークサバイバーにテルマエ・ロマエに……よし!時間あるときに絶対観よ…!」

「Amazonプライムシリーズ神!アニメもコナンにドラえもんの映画全部観れるしスラムダンクガンダムポケモンセーラームーン全部観れる!?ドラマもカルテットも重版出来もMIU404も!?M-1も全部!???ウワァァァア!よし!時間あるときに絶対観、

 

れるワケねぇだろうがぁっぁあぁぁぁぁああァァァアア!!!l!!だぁぁぁぁあれがこの量全部見れんだよコラァァァああああ!!!!「一斉配信」だ?一生観れねぇんだよバカがよォオオオオオオオ!!!

 

ふざけんじゃねぇ1日24時間しかねぇのに社会人がどうやって全部見れんだよ。「セーラームーン観なきゃいけないんで会社辞めます」とか言わなきゃいけねぇだろ。セーラームーンに代わって国にお仕置きされるだろ。

スケジュール秒単位で管理しろってか?こち亀の中川の親父か俺は?とにかく目も耳も全然足りないんだよ。人間無力すぎるだろなんで目と耳が顔に18個ずつ顔についてないの?神様の設計ミス?

いや、別に1個も観てないわけでも読んでないわけでも聴いてないわけでもないんですよ。むしろ常人よりコンテンツ浴びてる自信ある。なのに、俺がまばたきしてる間にもドラマもアニメもバラエティも映画もラジオも漫画も小説もゲームも音楽も動画も、面白いコンテンツが虫のように増え続けて0.00001ミリも追いつけねぇ。こっちは必死で自分の足で走ってるのにコンテンツの野郎はジェット機乗ってるんですよ。

 

いよいよ余命間近だなって思ったのが

「なに観よっかな……」

ってウォッチリスト見ながら悩んで、気づいたら「2時間」経ってました。5万も6万も払ってめちゃんこ画質良いスマホにして、一番やってるのが「ウォッチリスト眺める」ってどういうことなんだよ。もはや俺の人生そのものが『ウォッチリスト』って名の一本の映画。

そのあと「なんか疲れたから今日は観なくてもいっか……」ってなる日めちゃくちゃあるからな。しんどいんだよ、堂本剛より正直しんどいんだよ。道が枝分かれしすぎて、逆に一歩も動けなくなってる。このままだとマジでウォッチリストに殺される…ちょっとずつ天井下がってきてるのわかってんだろ?俺だけじゃねぇ…このまま全員ウォッチリストに頭潰されるんだよ…

 

…だが、俺はそんな死を待つマヌケにだけはなりたくねぇから、たまに気合い入れて「っっしゃあ…今日こそ観るぞオラァ……」ってログインしたら

 

「この作品の見放題は終了しました」

 

ア アラララァ ア アァ!!!人生はSOUL'd OUT。ウォカピポ(Watch list up people)

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新生活に聴きたいオススメさわやか学びラジオ番組10選

4月から新生活が始まるという方も多いのではないでしょうか。私の生活は1ミリたりとも変わりませんが、あなたにピッタリなラジオをおすすめすることはできます。

というわけで「新生活に聴きたいおすすめラジオ番組」を「さわやか」「学び」をテーマに10番組選びました。

 

有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER(JFN系列毎週日曜日20:00 - 21:55)

有吉弘行と同じ事務所の芸人達が月替わりアシスタントでお送りする2時間番組。時事問題から最新エンタメまで幅広く扱っているので、聴いてるだけで自然と教養が身につき、「拾ったメガネを掛け続けるとだんだん目が度に合っていく」など生活情報もたくさん知ることができます。

また、有吉さん自身の「朝の5時から24キロ散歩した」「マカロニ作りすぎてタッパーが足りなくなった」といった日常トークも魅力のひとつ。誰も傷つけないゆるゆるな雰囲気に癒やされて下さい。

※他人に口外してはいけないラジオなので外で名前は出さないようにして下さい

 

おすすめコーナー:「メキシカン(旧・キュンキュン)」…メキシカンでスパイシーな大人の恋の物語を送ってもらうコーナー

おすすめアシスタント:「松崎克俊(元・やさしい雨)」

 

さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ(TBSラジオ毎週日曜日27:00 - 27:30)

品行方正、清廉潔白、好感度を絵に描いたような2人がお送りする、数あるラジオ番組のなかでも最もアーバン(都会的)なラジオ。

東ブクロさんの嫁を決める「東ブクロの嫁決定戦」は聴く恋愛リアリティーショー、男女のことを知りたい人にオススメの番組です。

 

おすすめコーナー:「CITY 汁 CLUB」…青春を感じさせる切なくて淡い体験談を送ってもらうコーナー

 

空気階段の踊り場(TBSラジオ毎週月曜日24:00 - 25:00)

ギャンブル風俗狂いでMAX900万円の借金を抱えていた鈴木もぐらと、高学歴引きこもりで仕送り総額1200万のマザコンだった水川かたまり。

どれだけ成功しても絶対に変わらない2人の姿は「人間とはこうあるべき」を教えてくれる、下手な自己啓発本よりも自己肯定感が高まり「生きてていいんだ」と思える人生教養バラエティです。

歯茎紫マンことピン芸人・岡野陽一が出演する回はちょっとした討論番組と化します。

 

おすすめコーナー:「ギン勃ちボンバー」…異性に対して素っ気ない態度や言動を取って平静を装っていたが、実は勃起していたエピソードを紹介するコーナー

 

アルコ&ピースD.C.GARAGE(TBSラジオ毎週火曜日24:00 - 25:00)

「平子が合気で80キロのガリのイノシシの頭にゆっくり手を据えて下に降ろしたら地面に頭蓋が押し付けられて粉々になってそれがモグラになる」

「足の速い子供を育成する闇の計画『偉大なるブラックサバンナ計画』が行われている」

など、どこまでが「嘘」でどこまでが「真実」なのか、聴けば聴くほど霧の中に迷いこんでいく夢幻泡影ラジオ。日常生活では味わえない「学び」があります。

 

おすすめコーナー:「すごろく」…メールを2人交互に引き、書いてある指示に従う。最終的に幸福度の高い方が勝者となる年1回のコーナー

 

爆笑問題カーボーイ(TBSラジオ毎週火曜日25:00 - 27:00)

「好きな果物ランキングで桃が1位のやつがメロンが2位に来るはずがない」

「家のトイレのフタにウンコして何も言わずに帰った」

「俺の家に来る時に焼き鳥買ってきてくれなかった」

など、30年間変わらず同じテンションで本気で揉める56歳同士のほぼBLラジオ。「謎の地方ラジオ」の話を全国ネットでするという「強制エリアフリー」でローカルの情報も網羅できます。

 

おすすめコーナー:「CD田中」…過去のトークと既存の曲をミックスさせてまったく新しい曲を作るコーナー

 

囲碁将棋の情熱スリーポイント(ラジオアプリGERA毎週火曜日20:00 -)

大宮セブン・囲碁将棋のラジオ番組。元々はバスケットボールチーム・レバンガ北海道の監督を務める佐古賢一氏がやっていたラジオの居抜き番組なので、自然とチームの情報も集まりスポーツの知識も身につく一石二鳥の番組です。

「滝沢歌舞伎の「舞」の文字に「タッキー」が隠れている」

「ダウンタウンDXの「スターの私服ランキング」で一番強いのは伊藤英明」

「カラオケ「まねきねこ」は全てを操っている」

など他で知ることのできない情報も満載。

 

おすすめコーナー:「女・根建太一」…「もし根建太一が女だったら?」という仮定のもと様々なシチュエーションで女・根建太一の言いそうなことを送ってもらうコーナー

 

Creepy Nutsのオールナイトニッポン(ニッポン放送毎週月曜日25:00 - 27:00)

「ヒップホップとはなにか」それを知りたいのならばこの番組を聴くのが一番。通称「さわやかラジオ」

直属の先輩に対し「天翔けるチン」「チェケチェケ坊主」とdisるなど、ラリってるとしか思えないドープなテンションで暴れまわる通常時と、『日本語ラップ紹介』などで自分達が本当に良いと思ったヒップホップを勧める時のテンションの落差は本当に恐怖。

 

おすすめコーナー:「大江戸シーラン」…エド・シーランの名曲『Shape of You』のイントロ「ポンポンポン」部分にエドの代わりに歌詞をつけてDJ松永が歌うコーナー

 

マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0(ニッポン放送毎週木曜日27:00 - 28:30)

良いラジオ番組にとって「選曲」は欠かせない要素の一つですが『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』ほど音楽を大切にしているラジオを私は知りません。

奥井亜紀『晴れてハレルヤ』、高橋ひろ『太陽がまた輝くとき』、麻帆良学園中等部2-A『ハッピー マテリアル』、Oranges & Lemons『空耳ケーキ』、プッチモニ『青春時代1.2.3!』、太郎『男女』

など、特定の層にだけ語りかけてくる他のラジオでは決して聴くことのできない名曲達が毎週流れます。音楽関係者にぜひ聴いてもらいたい番組。

 

おすすめコーナー:「エール!心のボディビル」…ボディビル大会で選手に観客から掛けられる掛け声のような、自分自身へのエールを送ってもらうコーナー

 

ハライチのターン!(TBSラジオ毎週木曜日24:00 - 25:00)

別局である『オリエンタルラジオのオールナイトニッポンR』の喧嘩を完全再現する、『葛飾ラプソディー』を突然アカペラフルで歌う、など従来のラジオにはない自由なスタイルは唯一無二。

「マンネリ」という言葉から最も遠い番組で、どんなに人気のあるコーナーも数回で消滅し、前の週のトークで盛り上がった題材を切り取り新しいコーナーを生成するというこの世界で唯一の「永久機関」を可能にした無限ラジオ。

 

おすすめコーナー:「光のゲート」…夜に突然現れる「光のゲート」の目撃談を送ってもらうコーナー

 

霜降り明星のオールナイトニッポン(ニッポン放送毎週金曜日25:00 - 27:00)

ある特定の分野において異常なまでの知識量を持つ2人のテーマパークラジオ。

「映画『マダガスカル』のカバと全然エッチできる」「映画『ソーセージパーティー』の面白さ」「アグネスチャンの歌うトップオブザワールド」など、コアな話題が数多く提供されるので、エンタメに詳しくなりたいなら『霜降り明星のオールナイトニッポン』が最もオススメ。

また、ゲストに『マネーの虎』でお馴染みのなんでんかんでん・川原社長や創庫生活館・堀之内社長を呼んで話を伺うなどビジネスの観点からも大変有益なラジオです。

 

おすすめコーナー:「スプラッシュ!」…有名人・著名人がスプラッシュしながら 「どんなワード」を発するのかを想像して送ってもらうコーナー

 

三四郎のオールナイトニッポン0(ニッポン放送毎週金曜日27:00 - 29:00)

起きているのに夢の中にいる感覚に陥る不思議な番組。この2時間はいったいなんだったのか、内容がなにも思い出せず、聴き終わった後は完全な「瞑想」状態になることができます。「無」こそ究極の「学び」だと教えてくれるヨガラジオです。

 

おすすめコーナー:「シン・結婚できない男」…「新・結婚できない男」の主人公 “ 桑野信介 ”のような「偏屈なセリフ」を送ってもらうコーナー

 

 

以上です、朝食時や通勤時にぜひ。ラジオネームてるてるアフロでした。

『カムカムエヴリバディ』話の流れジェットコースターすぎて感情のゲロ吐く

朝ドラ『カムカムエヴリバディ』、面白いのは面白いで間違いないんですが、感情をどこに置けばいいのかマジでわからない。毎回「強制的にジェットコースター乗せられた」みたいになって空中でゲロ撒き散らしてる。

 

そもそもこのドラマって、メインが1人だけの通常と違って「3人の主人公」がいる超特殊なことやってて、それを同じ「6ヶ月」って期間で描こうと思ったら単純にエピソード量は3分の1に縮めなきゃいけない。だからこそ「どこを描いてどこを省くか」っていうのは凄い大事な部分じゃないですか。

なのに、そのチョイスの仕方がすこぶるバグってて話の本筋に関わる部分は急に未来にワープして端折って「おあずけ」されてるのに、割とどうでもいいサブキャラの恋愛とか何週にも渡って描いたりして観てるこっちの気持ちがストーリーに全然追いつかないんですよ。劇中はもう3人目の主人公ひなたになって30年経ってますけど、俺はまだ「稔」をめちゃくちゃ引きずってるんですが…

 

第1章の「安子編」から昨日までピンピンしてた人間が、視聴者が瞬きしてる間にあの世逝って数年後とか日常茶飯事でしたし、第2章の「るい編」に切り替わる時も、安子が幼いるいに呪いの言葉吐かれてアメリカ兵と国外逃亡した衝撃にまだ気持ちの整理がついてないのにも関わらず、視聴者が息を吸って吐く間に子役が「深津絵里」に仕上がってましたし、第3章の「ひなた編」に至っては、ひなたと売れない役者・五十嵐との色恋模様をさんざん視聴者に見せつけられ両想いになって「さぁ〜〜〜!!!これから2人のイチャイチャラブラブ生活始まりますよ〜〜〜〜〜!!!」みたいなテンションでそっちから煽ってきたのに、

 

次の週で「8年」経ってました

 

いくらなんでも「8」はやりすぎだって…小学生も大学生になってるって……で、キスシーンすらないまま「私たち8年も付き合って相手の心も体も全て知ったけど最近もう別れる一歩手前です」みたいな空気出されて「い、いや、そりゃお前らからしたら長い長い時間かもしれないですけどこっちからしたらたった数分なんだが…?まだお前らカップルに何の思い入れもないのに…マジで何…?」って困惑してたら、

 

次の週には「10年」経ってました。な、なんで?

 

しかも「時代劇お仕事奮闘ドラマ」にシフトしてもう一生出てこないと思ってた「ラジオ英会話要素」もシレッと復活してるし、数話前までは「Hello」もロクに言えなかったヤツが急に河北麻友子みたいな喋り方するようになってるし、視聴者が永遠に気になってた「30年間嫁のヒモやってた錠一郎の人生」をサラッと数分で片付けたり、かと思いきや、

「主人公の友達と映画村職員の恋愛模様」

を何話も使ってお届けしてくださりやがって……それを観てる俺はエサの前で「待て」された犬かの如く「テメェらがなァアア!!付き合おうが別れようがなァアアアアアアア!!!!どォオオオオオオでもいいんだよォオオオオオオ!!!!!!ジョーーーーーーのピアノ聴かせろオラァアアアアアアアアア!!!!!」ってずっと叫んでる。どこ雑にやってどこ丁寧にやってんだよ。

 

あと1週で終わるんですけど、「実家の和菓子屋は復活してるのか」「安子は生きているのか」「森山良子めちゃめちゃ胡散臭い」「ひなたの幼少期に出てきた外国の子供は誰か」「風間俊介マジでなんだったのか」とか明かされてない謎、回収されてない伏線が山ほどあって、たぶん残り5回でM-1の漫才の後半みたいにめちゃくちゃ畳み掛けて詰め込んでくると思うんですよ。

間違って1日見逃そうもんなら、30代のひなたが次の回で急に「87歳」になってる可能性、全然あります。どこでアクセル踏むか全然わかんないし、絶対にカムカムの運転する車にだけは乗りたくない。赤信号手前で急に100キロ出すタイプのクレイジードライバー。マリオカート感覚でドラマ作ってる?

 

あと「城田優のナレーション今日はあるのかないのかのギャンブル」するのマジでやめろ。「2話連続ナレーションなし」とかなるともう1ミリも話入ってこねえ。主題歌『アルデバラン』ですけど俺は毎回「優出番は?」になってる。

北島三郎とエド・シーランの合体、藤井風『まつり』

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北海道に住んでる私には「まつり」といえば、北島三郎の強制一択だったんですが、まさか令和4年に新しい『まつり』がリリースされるとは。あのサブちゃんと曲名被りとか、藤井風が闇の組織に狙われないか心配してる。

巨大な王がそこにいたら避けて通るのが普通。にもかかわらず、そこに飛び込む度胸is宇宙。星野源が『ドラえもん』の名前で曲を出したときに感じたヤバさとまったく同じものを藤井風にも感じた。アンビリーバブルクレイジーシンガーソングライター。

そして曲を聴き、一瞬で納得した。「この曲のタイトルは「祭り」でも「FESTIVAL」でもなく『まつり』以外あり得ない」と。和と洋、北島三郎とエド・シーランの合体。それが藤井風の『まつり』…

イントロの笛の音を聴くだけで「インナー里帰り」できるほどに情景が浮かび上がる。俺はばあさんの家にきたのか…と錯覚する。そんな懐かしさを感じたのも束の間、Aメロに入った瞬間に感じるのは目がくらむほどの「都会」。さっきまで「ババアの入れてくれた茶うめぇ」とまったりしていたのに今は会員制のBARで高級ウイスキーを飲んでる。あまりにも自然にフェーズが切り替わっていた。村にオシャレBARが建っていてもまるで違和感がない、全てが自然に共存してる音楽ゼネコンだった。

今までも、和楽器と打ち込みを上手く組み合わせることで日本人に馴染みが良いのに新しさも感じられる曲は山程ありましたが、藤井風は確実にその次元の一個上をいっていた。とにかく音楽が「広い」。「分かりやすいのに奥が深い」を感覚でやってる。「若者の音楽はついていけない」と嘆く大人も、「昔の音楽とか古臭え」と笑う若者も、音楽を聴く全ての人間の終着駅、真のミュージックステーションが爆誕した。

メロディ、アレンジ、歌詞含めて「古さ」と「新しさ」がこれ以上ない最高のバランスで組み合わさり「新しいものを使って古いことをあえてやるとそれが逆に新しい」が見事に成立していた。「『VRあやとり』めちゃくちゃ面白い」みたいな感覚。「昔のものはつまらない」「今のものは面白い」じゃなく「どちらも面白い」と言い切って100人が100人楽しめる音楽を鳴らす。それが歌詞にもメロディにも込められている。

愛しか感じたくもない

もう何の分け隔てもない

まとめてかかってきなさい

今なら全て受け止めるから

かつてこれほどまでに優しい「かかってきなさい」があっただろうか。逆フリーザ。

その閉じた心 今こじ開けな

あっけーな

ラッセーラ

このキテレツな歌詞をここまでクールに歌える人間は他に存在しない。藤井風が「ラッセーラ」と言えばそれは「Lucky…Sexy…Love…」の略になる。

さらにこの曲は至る所で「ハッ…」「イェィ…」「フゥン…」「ァイ…」「ホゥッ…」と「言葉にならない声」で曲を盛り上げており、特に2番サビでは、突然「ッシャッ!ッシャッ!」と叫ぶ謎の箇所が挿入され、吉川晃司以来のパーフェクト「ッシャッ!」を堪能することができる。

祭り 祭り

毎日愛しき何かの

祭り 祭り

あれもこれもが大当たり

比べるものは何もない

勝ちや負けとか一切ない

ない ない

サビに突入するとそこに広がっていたのは、田舎も都会も日本も世界も関係ねえ、全て飲みこんで踊ればええやん、という圧倒的肯定。菩薩だ、菩薩がそこにいた…

 

 

さて、こんな名曲を生み出してしまった藤井風氏に私から今後のプロモーションについて提案がございます。

北海道函館市には北島三郎氏が初代『まつり』と馬で稼いだ金で建てた「北島三郎記念館」という施設があるのですが、そこでは誰でも気軽に「サブちゃんの人生」を追体験でき、

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中には「サブちゃんの等身大ブロンズ像」や「信じられないくらいバカデカ船に乗ったサブちゃんロボ」によるスペシャルライブを見ることができるなど、ディズニーを超えた素晴らしいテーマパークがあります。

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ぜひ「藤井風記念館」を建設してほしいと言うてますけどmore

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