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ミクスチャーブログ

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「◯◯ 感想」でこのブログに来る人

このブログは『かんそうブログ』なので記事のタイトルを「◯◯感想」とすることが多いのでよく検索から「◯◯ 感想」でこのブログに訪れてくれる人が多い。昔この「かんそうブログ」はドラマや映画の内容を知りたい人間を取り込むために、ただただ観たドラマの内容を書き起こしてたのだが、ゲボ吐くほどつまらなく苦行にしかならなかったので結局感想を好き勝手に書き殴ることにしたのですが、果たして「◯◯ 感想」と検索する人はなにを目的にしているのだろうか。

例えば、ドラマの感想なら著者の主観で面白かったのか、つまらなかったのか、そしてその理由を知りたいのか、それともただ自分が見逃したので単純に内容を知りたいのか。読者が求めているものはわからない。

これを書いていて思ったのが、昨今「金臭いブログVS純粋に文章を書きたいブログ」のバトルロワイヤルが行われて、言及し合わないと首につけた爆弾が爆発するのかってくらい盛り上がってましたけど、その論点の一つに「そのブログを読む人間のこと」があって、PV・収益報告記事が皆が読むホットエントリに載るのが気に入らないと。仲間がブックマークつけあう行為が憎いと。うっかり読んでしまう人間の身にもなれと。タイトルが目につくのも我慢できんと。金臭いブログを見ると体中にブツブツができる、ということらしい。

そりゃあ純粋に面白い文章、面白いブログを読みたい層からすれば「PV○万になりました!」だ 「月間○万円達成しました!」だ 「これからも目標意識をもって続けていきます!」だのの話は反吐が出るほどどうでもいい記事で、地獄に落ちろ、バーナーでお前の全ての爪を焼いてやろうかと思うのも無理はない、逆に「ブログ飯だ」「自己ブランディング」だのを目指してる連中からすればいわば新興宗教の教祖様の有り難い御教えなわけですから相容れるはず無いよな、と。

極端に言えばそれが全国民が読む教科書なら、なるべく誰も傷つけないよう反対に誰の心にも響かないように書かなければいけないかもしれないけど、こんなノーコストで書いている仕事ですらないブログで過剰に他人のことを推し量る必要はないし、各々好き勝手バーリトゥードにやればいい。もしかしたら自分が書いた一文で誰かを傷つけるかもしれないし、誰かを救うかもしれない。誰かにとってはゴミかもしれないし、誰かにとっては宝かもしれない。それは書き手がわかることではないし、わかるはずもない。例えば、どれだけ愛の溢れる文章を書いても、愛に飢えてる人からすれば「俺の気持ちも知らないで」と深く傷つき自殺してしまうこともあるかもしれない。そういうことなんだと思う。

だから、基本的にはお前が気に入らんとか体中ブツブツ出るとかは知らんっていうスタンスでいたらいい。首についた爆弾の爆発する超えちゃいけないラインさえ越えなければ。このブログも「『ゲロ』だと女の子が引くかもしれないから今日は『ゲボ』にしよう」とかは考えてます。

 

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