朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」主題歌、Mr.Childrenの新曲『ヒカリノアトリエ』の感想。
Mr.Children「ヒカリノアトリエ 」MUSIC VIDEO (Short ver.)
ミスチルの曲に関してはよく、聴くタイミングや体調によって「え…?俺この人に俺のこと話したっけ…?これ俺のために書いた曲じゃん…」って時と「ゴチャゴチャうるせぇな偉そうに。何様だてめぇ」って時の二つがあるっていうことをよく言っていて、結局ミスチルに限らず音楽って水みたいなもんで純度の高い自分に合った水であれば身体にスーッと入ってくるし、合わない水ならどんなに飲んでも身体が受け付けずに吐き出してしまう。ただ、水と違うのは上に書いたように、その時の自分の心情とか環境によって昨日まで1ミリも好きじゃなかった曲が突然「あれ…?めちゃくちゃ良いぞおい…」ってなる時がある。そういう点でいえばこの「ヒカリノアトリエ」は初聴から全然ピンとこないし朝ドラも観てないし、クドいミスチルが満載でむしろ「嫌い」だった。メロディもパッとしないし歌詞も陳腐で俺はこんなつまんねぇミスチルが聴きたいんじゃねぇんだよと。
そして、今日。CD買ってフルで聴いてわんわん泣いてます。
ちょっと個人的な話を挟むと昨日、所用で空港に行ってきたときに知らん子供が待合スペースで遊んでるのを見かけた。元々、人の子供かわいくない問題 っていう記事書く「ガキの写メ見せる親のスマホバキバキに壊す教」っていう新興宗教に入信してる俺なんだけど、その知らない子供が四角いクッションを5段くらいまで積み上げて6段目でバランス崩して落とす、っていうのをただ繰り返してゲラゲラ笑ってるのを見てなんか凄いウルッときてカーッと目頭が熱くなってなんかもうたまらなくなった。
それこそ箸が転がるとか、車が右に曲がるとか、大人からすれば全然なんでもないようなことで心の底から笑える彼らをすごく羨ましいと思ったし、すごい可愛いなって思った。同時に、なにかって言えばすぐに歪んだ考えでモノを見たり、否定から入る自分を恥じて泣いた。
そんな昨日があって、ヒカリノアトリエを聴いた。キラキラ感の塊みたいなこの曲が藤原紀香で言うところの水素水のように体中に染み渡ってきた。桜井和寿の書く歌詞の特徴としてある一方向、例えばプラスを歌おうとするときにもう一方のマイナスを引き合いに出して強調することでより伝えたい事が明確になるというのがあってそのマイナス面が時には過剰になりすぎるってとこがすごい好きで、ヒカリノアトリエは決してそういう曲ではなくて、世の中は綺麗事だけじゃない部分も少しは見せつつもその部分はできるだけさらっと流してそれこそ「まずはお前らが死刑になりゃいいんだ」「Fuckする豚だ」とか平気で歌う「ロックバンド」っていう体裁すら抑えて、ひたすら優しい、暖かい世界を見せてる。
Aメロでボーカル被せてくるとか、ギター、ベース、ドラム、キーボードはもちろん、アコーディオンもサックスもフルートもトランペットもCメロのリコーダー?も曲を彩るその全てが素晴らしい明日を、空に架かる虹を信じて、前だけを、ただ前だけを見てる。ガツンと響く、というよりもじんわりと心を暖かくしてくれる素朴なメロディ。こんな時代だからこそ青臭い希望を歌う意味。なかでも特に心打たれたのが2番Aメロの歌詞。
「一体 何の意味がある?」
つい 損か得かで考えてる
でも たった一人でも笑ってくれるならそれが宝物
そう、宝物だ、と首がもげるほどうんうんと頷く。1番サビでは「虹はもうそこにある」がラスサビで「虹はもう『ここ』にある」と確かに一歩踏み出す表現もニクい、ニクすぎるぞ桜井和寿。昨日までの俺だったら全然咀嚼しきれてないはずだった極厚ステーキみたいなこの曲を好きになりかけてる自分に驚いてる。(明日になったら胸焼け起こしてる可能性はめっちゃある)
初聴で「うわ、すげぇ糞。こんなんだったら平浩二の「ぬくもり」カバーしてくれた方がよっぽど聴く」くらいに思っててすいませんでした。あ、各アレンジ曲については「結局アレンジするならコバタケに任せたほうがしっくりくる」という感想です。
収録曲
- ヒカリノアトリエ
- つよがり (Studio Live)
- くるみ (Studio Live)
- CANDY (Studio Live)
- ランニングハイ (虹 Tour 2016.11.7 FUKUI)
- PADDLE (虹 Tour 2016.10.14 KUMAMOTO)
- Over (シークレット)